不安感が募ってくる。此れはきっと強迫性障害の所為であろうと
考える。
理想的な私のスケジュールは、午前中は絶対に眠り続けて、
14時半頃起床する。すぐにシャワーを浴び、さっぱりした心で
髪の毛を乾かして、お下げ髪にする。そして日中薬を服用して、
ソイラテを少しずつ飲みながら一服し、読書に耽る。
その後はずっとミネラルウォーターを飲み飲み氷を齧り、
スーパーへ行くまでの時間を過ごす。
この通り過ごせたら、拒食を達成できた事と読書ができた事に
満足してゆったりとした心でスーパーへの道程も足取りが軽い。
しかし今日は酷かった。
夜中の過食時、自分の部屋に食べ物を運んでいる時� ��、
足を滑らせて転び左肘を強打し、身体も強かに床にぶつけた。
一瞬頭の中で星が弾けて何が何だか分からなかった。
最近こうして自分の身体の均衡を失い、物にぶつかったり、
何も無いところで躓いたり、今回の様に滑って転んだりと
おかしくなってきている。多分痩せた事で筋力が衰えて、自分を
支える事が上手くいかなくなってきているのであろう。
夜中の過食嘔吐は壮絶である。手に負えない。
我慢しようとしても出来ない。しんどいから、疲れているから
夜中に食べる事なんて止めようと思っても、
『食べなきゃ駄目だ。心の穴を塞ぐのだ』
という悪魔の言葉が囁きかけて、言う通りにせざるを得ない。
この『心の穴』とは 一体何なのか・・・。
その穴から聴こえてくるのは、『寂しい、悲しい、苦しい』
と言うものである。まるでそれを食べ物で塞いで自分の感覚を
麻痺させようとする為に過食、そして嘔吐しているようである。
今の私には此れが普通となってきている。この病気でない人と
比べても何にもならないと分かっているが、正直な所、
普通に「いただきます」と食べ、「ごちそうさまでした」と
言える人がとても輝いて見える。
今や私は固形物を全く食べられなくなったのである。食べたら即
過食嘔吐に繋がるからである。
命を繋ぐのには、『食べる』と言う行為が
必要不可欠なことであろう。しかし私はそれに障害を
きたしている。勿論、一般的に普通� ��いわれている生活も
出来ないし、どんどん追い詰められる。しかし、どんなに
頑張っても『食べる行為』に物凄く恐怖を覚える。
本当は過食をしている間も恐怖なのである。食べている時から
身体はその栄養を吸収しているのであるから・・・。
でもそうして私は生きていられる・・・。
閑話休題。
今の私には、『母の存在』が必要不可欠である。
とても温かく大きく優しい。子どもの頃は鬼のような顔をして
私を叱責、殴打していたが、今は本当に優しく心配して
くれている。今の母の姿こそ、本物の姿であると強く感じる。
温かく思い遣りに溢れて、私の事を気にかけてくれる。
子どもの頃そうでなかった分を今、取り戻しているようである。
少し前まで� �私がとても苦しくて縮こまっている時、
優しく抱き締めてくれても何処かに恐怖と抵抗感があった。
だからとてもぎこちなかった。しかし、今はその母の体温を
温もりを、抱き締めてもらった時に素直に受け容れられる。
親不孝な事だけはしたくない。こんなに思ってくれているので
あるから・・・。だから母が生きている間は自棄を起こして
大量に薬を飲んだり、自殺行為をしたりする事は無いであろう。
しかし母を喪った時、自分がどうなるか分からない。
きっと寂しくて生きていられなくて後を追うであろうと予測が
つく。だから今、自分の人生を生きている訳ではなく、母に
安心してもらう為に息を繋げて生きているのである。
私は本当の所、絶望の淵に立っている。< /span>
差し伸べてくれる手をも掴めそうに無い。
しかしそんなギリギリの状態で母は私を愛してくれている事
だけは強く感じる。そして此処で出会えた皆様の優しい
コメントを拝読する度に今生きている事は必然なのだと
感じられる。
前を向いて突き進む事はできないが、ゆっくり一歩ずつ進んだり
後退したりを続けながら、生きていられたら今はそれで
満足である。
必要なものであるからしてしまう事なのであろう。無理して我慢
しても、他の心身症状が出てきて辛い目を見る。
いつも私は、『普通って何だろう』と考える。
朝起きて朝食を食べ、歯を磨いて仕事へ行く支度をして、
家を出る。仕事をこなしてお昼休みには昼食を食べる。
休憩におやつを食べて、週末であれば帰りに居酒屋で
飲み食いでもするであろう。ちょっと食べ過ぎたかなと
思っても、そんなに気にする事も無く、夜になれば眠りに就く。
私はそうやって普通に人々がする事が出来ない。
一口でも食べ物を口に入れ、飲み込んでしまったら、もう意識は
過食嘔吐� ��辺倒になる。
普通と言った概念から大きくかけ離れるのである。
今ではもうサラダや海藻、カロリーの低いゼリー飲料でさえ口に
出来ない。飲み込んだ時点で過食嘔吐となる。
過食嘔吐は身体に物凄い負担と、心の不安定さを呼ぶ為
日中は絶対にやらないようにしている。勿論空腹感を覚えるし
「食べたい!!!」と言う衝動が襲ってくる事もある。
しかし昼間は抑制できる為、ミネラルウォーターを飲み続けたり
氷を食べ続けたりして、水分だけで過ごす。カロリーの無い
ものを胃に入れておけば、空腹感も紛れるのである。勿論
この行為も決して身体に良い訳はなく、苦渋の選択である。
このような行動は誰が見ても『異常』と
見做す であろう。決して普通ではない。その上夜になれば
沢山の食べ物を胃に詰め込んで、詰め込んで、限界が訪れたら
全て吐き出してしまうのである。この苦しみは異常で非常に
耐えられなくなる時がある。
勿論自業自得である事も本当に充分承知している。
しかし、止めたくても止められない。夜になるといつの間にか
私は食べ物を次から次へと口に運んでいるのである。
このような行為に、もしも意味付けるとしたら、
『食べている間は無心で何も考えなくて良い事』
であろうか・・・。私は摂食障害の他にうつ病やPTSD、
強迫性障害etc...を抱えている。それらを全て忘れていられる。
日常過ごす自分の情けなさ、人や世間に対する恐怖感、
過去� �苦しい事哀しくて辛い事をも、忘却している。
しかし、それによる代償は物凄く酷く苦しいものとなる。
それらは摂食障害のことを詳しく書いてあるHPの通りである。
特に苦しいのが低血糖であろう。身体は振るえ、頭がぼんやりと
して意識を失いそうになる。また電解質の異常により手先足先が
痺れる事もある。其処まで身体に多大なるダメージを与えても
止められないのが病気である所以であろう。
私は決してもう多くのものは望まない。唯、『普通』が
欲しい。食べ物に感謝をして「いただきます」と食べ始め、
腹八分で「ごちそうさまでした」と言いたい。
そして食べたものが私の糧となり、血や肉となり、明日への
命を繋いでいきたいと感じる 。何よりもこの食べ物を粗末に
している自分と言うのが赦せないのである。悲しい。
それにこんな事を繰り返していたら母より先に死んでしまうので
それがとても心苦しいのである。
人々は『普通』である事を嫌い、『特別』を求める。
人より秀でていき、容赦なく弱者を足蹴にして特別になろうと
伸し上がっていく。そうして輝かしいポストを得て・・・・・・、
一体その後何が待っているのであろう・・・。非情に無情に
上を目指して生きていく様はとてもじゃないが尊敬できない。
慎ましやかに人情を重んじ、温かく、決して上へは行けなくとも
優しい心の持ち主である人を尊敬する。それは至って『普通』
であるが、社会に出るとその優しい人々は� ��牲となってしまう。
時には会社の尻拭いとしてのスケープゴートにもなりかねない。
それでも良い。私は、普通な生活を送りたい。
小さな自然を身辺で見つけ、心を癒し豊かにして、温かい心を
持ちたいと願う。
勿論こんなに病気まみれの自分はギスギスしていて、心の余裕を
生み出すことすら難しい。しかし、夕暮れの空に感銘を受ける
ように、小さな自然を大切に心に取り入れて、心を癒して
治癒へと向かられたら考えるのである。
目覚めた時から薄暗く、気分も同じく暗く暗く重くなっていく。
爽やかに晴れすぎた空も苦手であるが、夕陽すら顔を見せない
大粒の雨が降る日は、一挙手一投足が疲れてしまう。
目覚めたのは15時半頃であった。暫しボーっとして、
シャワーを浴びた。ほんの少し、重苦しい頭がすっきりとする。
しかしいつも時間に追われている感じは払拭できない。
この時間にはあれをして、これをして、そして読書をして・・・。
余程気分が堕ちきっていない限りは、読書の時間だけが
唯一現実を忘れられる救いの時間である。最近は乃南アサ著の
本を読み漁っている。此れは知人から借りたものなのであるが、
沢山貸して頂けて、 喜びも一入である。乃南アサの作品は
大好きなものが多いのであるから。そして読書をゆっくり
嗜みながらコーヒーを飲んだり、ミネラルウォーターを飲んだり
しながら、ゆったり過ごす。しかし抑うつ状態にあると、
何故か先を急いでしまい、落ち着かないのが苦しい。
正に自業自得である。けれど読書をしていれば、
鬱から来る希死念慮から逃れられている。
私にとって大切な時間である。
なるべく生活リズムを正したいと思うが、朝目覚めてしまうと、
過食衝動が容赦無く襲ってくるし、嫌な事・過去の事・苦しい
現実を考え込んでしまって、何も良い事は無い。それにそんな
風に朝から目覚めても拒食で通す為、低血糖により身体が
震えたり、精神状 態が悪化の一途を辿ったりする。
だから私は昼も過ぎ夕方が迫ってくる時間に起床するのかも
しれない。強いお薬のおかげで深い深い眠りに就き、
目覚めたらシャワーを浴びて、ソイラテを飲む・・・などと延々と
続く作業は、全て強迫観念から来ているものである。
そして絶対に日中は過食嘔吐しない事も自分に戒めている。
正直自分の意思は殆ど入っていなくて、苦慮の末編み出した
日中の過ごし方なので、もう今や守らないと気が済まない。
落ち着いていられないという事が苦痛でなだけである。
スーパーへ行く時間が迫り、雨が降っている事に少々の怠さを
抱きながら支度をした。そしてこれから自分が行う事について
物凄く嫌気が差しながらも、吐く為の食べ物を購入す� �。
しかし日毎に『食べたくない!嘔吐したくない!』
との想いが物凄く募ってくるのである。しかし此れも強迫観念が
為している事で、逃れられない。それに私は0か100かしか
頭に無いので、食べないと決めたら飲み物だけで過ごす。
もし一口でも食べ物を食べてしまったら、嘔吐するまで
止まらないのである。うつ病が重みを増してくるにつれて、
『何にもしたくない。食べたくも無い。吐きたくもない。
いつまでもいつまでも眠っていたい』
と言う思念で一杯になる。そうなると心の容量も狭まっていき
自分自身が凄く小さなものになる。
『もっと豊かな心を持ちたい』
と願っても、心の視野が狭まっていくばかりである。
唯� �、読書によって違う世界に浸れる事だけが救いである。
情けない自分であるが、少しずつ前を向けるようになりたいと
思う・・・。
隣の部屋でぐったり倒れていた。しかし早く胃薬を服用し
眠剤も服用せねば昼に起きられなくなるので、重い足取りで
部屋に戻り、一連の作業を終えて眠りに就いた。目覚めたのは
16時である。急いでシャワーを浴び、一息つけた所で
様々な思いを頭の中で巡らせていた。
私が通っていた高校は、キリスト教プロテスタント系の学校で
あった。勿論毎朝礼拝があり、授業に聖書の時間もあった。
私は無神論者であり、無宗教であるが、聖書には色々と
気付かされる事が多く、学校で暇な時に読んだり好きな箇所に
付箋を貼り付けたりしていた。
其処で今日、ふとこの言葉が頭に浮かんできた。
『あなたがたは、兄弟の目� ��あるおが屑は見えるのに、
なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。』
( マタイ・7・3〜5、ルカ6・41と42 )
と言う言葉である。
全体の文としては、
『人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。
あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与
えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ
自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって「あなた
の目からおが屑を取らせてください」とどうして言えようか。自
分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸
太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟
の目からおが屑を取り除くことができる。』
( マタイによる福音書第 7 章 )
私はこの箇所を高校生の頃読んだ時、衝撃を受けた。
『人を裁いてはならない』 事に成程と言う思いを抱き
『偽善者である自分』 を思い知らされた。
私は余り神に基づいて考えている訳ではなく、日常生活に
取り入れて思考を巡らせた。私は高校生の時も毎日過食嘔吐を
繰り返していたので、本当は半ば聖書の言葉に縋る部分が
無きにしも非ずと言う状態であった。しかし私の目の中には
丸太があり、妹弟のおが屑に気付いていても取り除いて
あげられるような人間ではないと思い知らされた。
また、『人を裁くな』と言う箇所、
『あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る
秤で量り与えられる』という箇所には感銘を受け� ��。
高校生の自分がその時解釈したのは、自分の心の力量や乏しさ、
小ささが浮き彫りとなった為に、もっと温かく豊かで大きな心を
持たねばと想ったのである。
自分の目の中に丸太があるというのに、兄弟のおが屑を取り除く
デートの男性既婚痛み
事等出来ない。自分は何も見えていないのであるから。
まるで『紺屋の白袴』のようである。私は盲目的に苦しんでいる
家族を救いたいと思っていても、自分は重篤な摂食障害で
何も力は無い。妹や弟が苦しんでいる・・・つまりおが屑により
開眼できず、行き当たりばったりで周りのことを見ず、好き勝手
に生きている様を見て哀しく思いおが屑を取り除こうと思っても
到底無理な話だったのである。自分の目の中にはおが屑以上の
丸太があるのだから、到底無理な話である。
つまり何を言っても説得力は無い。
そしてそんな私が裁けるはずが無い。卑小な心を持つ私が
あれこれ言って所謂判決を下したとしても、� ��もその卑小な
情けない心で裁かれているという事である。
この部分については何度も熟読を重ね、いろんな解釈を
高校生の頃は求めようとしたものであった。
今も、『偽善者』と言われたら何も言い返せない。
実際自分が一番強く思っていることだからである。
しかし私はこの聖書の箇所と出逢えたことによって、少しずつ
心にゆとりを持てるようにしようと感じた。
しかし、摂食障害はどんどん視野を狭めていき、心も貧しく
乏しくなっていく気がしてならない。そんな狭い力量で
人々の事を何かと言うのは自分もその狭さの中で裁かれる訳で
あり、虚しいものである。
つまり、私がこの聖書の文章で得たものは、心を広く持ち、
豊かにして『 自分の目の中の丸太』に気付く事であろう
と感じている。
私は前述の通りキリスト教信者ではないが、高校生の頃
苦しんでいる時、聖書に出逢えてよかったと思っている。
様々に解釈できる言葉が連ねられている聖書は、純粋に
読み物として読む事が出来る。そしてハッとさせられる事が
多い。
今は摂食障害にうつ病と言う重い症状に苦しみ、何も見えない
状態であるが、せめて心だけは豊かにしておきたいものである。
病院へ行こうと思っていた。いつもは電話診察と母に薬を取りに
行って貰い、主治医と母がお話をするというスタンスが続いて
いた。しかし、日曜日祖母と会う為に薬を減らした事から
抑うつ感に押し潰され、約束を守れなかった事、月曜日は
無理に無理を重ねて外出した事。そしてその疲れがずっしりと
今日圧し掛かってきて、起き上がる事すら出来なかった。
情けない。こんな自分など死んでしまえばいい!
と言う思いで頭の中が一杯になり、何もする気になれなかった。
しかし、シャワーを浴びねばならないと思っているので時間が
迫った来た為、必死の思いで身体を起こしてぐったりしながら
シャワー� �浴びた。今日も暑かったのでとてもすっきりした。
そして其処からは自分の決めた時間割通りの行動に走った。
ソイラテを飲み、大きなマグカップに氷をたっぷり入れて
只管ミネラルウォーターを飲む・・・ガリガリと氷を食べる。
いい加減こんな決められた通りにしか動けない自分に腹が立つが
その時間割通りに行動する事で安心している自分も居る。
しかし今日は病院へ行くつもりだったので、少し就薬を減らして
服用した為なのか、この2日間の鬱積が堪っていたのか、
『何もかも嫌だ。死んでしまいたい・・・消えたい・・・』
と言う思いから抜け出せなかった。しかし母を置いて死ぬ事は
してはならないという一欠片の理性と死ぬ事を実行できない程
弱りきっ ている心身が其処にある為、生き続けるのである。
電話診察では、秋田の某事件が話題に出た。容疑者のあの
母親も、実は卒業時の寄せ書きに酷い事を書かれていたそう
である。そして信憑性の程は定かではないが、亡くなった
少女に対するネグレクトという報道・・・。少女の事件は、
未だ事故なのか事件なのか分かっていないが、その日の少女が
どんな気持ちを持っていたのか、色々な想像が浮かんでくる。
私は、門限の厳しい家で育った。しかし習い事の無い日こそ
時間一杯外で暴れまわり遊びまわりたくて、放課後の学校に
入り只管自分の身長よりも高い鉄棒で逆上がりの練習をしたり、
縄跳びの練習をしていた事があった。時間も忘れて・・・。
気付けば門限の時間を過� �ていて家の玄関には鍵がかけられ
入れない状態になっている。そんな時、私は学校の高い塀に
よじ登り、フェンスに手をかけ、沈んでいく夕陽を見ていた。
今帰ったら玄関先で謝り倒して許しを乞い、家へ入れて
貰わなければならない。しかし家には入れたとしても罰としての
体罰が待っていた。背中の殴打、頬を平手打ちされる、頭に
拳骨が降ってくる。それは何物にも代え難い恐怖であった。
だから私はいつまでも高い塀の上、細い塀をとぼとぼ歩いていた
のである。一歩足を踏み外し、地面に落ちて打ち所が悪ければ
死んでいたであろう。しかし私は母の体罰に耐え、生きてきて
しまった。唯、秋田の亡くなった小4の少女と自分のぽっちゃり
していた頃、子どもの時分の顔が 重なるのである。だからこの
事件には胸に凄く痛みを覚え、哀しい気持ちで一杯になり、
TVを観る事が苦しい。そして自我を持ち始めるその少女が
何を思って寒い川縁を歩いていたのかと思うと胸が締め付け
られる想いに駆られるのである。
あすは何も約束は無い。きちんと処方通りのお薬を服用して
心身を休めたい。どうかこの『死にたい』
と言う気持ちが過ぎ去ってくれている事を願って止まない。
哀しい事件が勃発している昨今の世の中には何が起こって
いるのであろう・・・。そして警察の不祥事の多さ・・・。
一体何を信じればよいのか混乱し分からなくなってきている・・・。
服用して眠った。やはり毎日服用しているものを外すと、
抑うつ状態が酷くなる。必死の思いで起き上がり、支度をする。
外は夏の様に暑い。私は暑いのが大嫌いなので、それだけで
どんどん身体が重くなる。
祖父母に会えた事はとても嬉しかった。外に出て良かったと
感じた。しかし、どんどん体調が悪くなり、祖父の病院に
付き合っている頃にはお腹が下り始めた。そして起きてから
水しか口にしていなかったので、低血糖で身体が震え始めた。
一応スポーツドリンクを持っていたので、それでどうにか
抑えられたが、苦しかった。
私はまだ外出するには早いのかもしれない。
現に今も下痢が止まらず、身体は果て� ��なく怠く、心身が
とても重い。そして明日にはカウンセリングと診察があるので
病院に行かねばならない。疲れてしまったが、明日は血液検査も
せねばならないので頑張るしかない。
やらねばならない事はせねばならない。
今日の内に体調が戻る事を祈るのみである。
そしてやはり拒食状態でいることは身体に多大なる負担を
与えている事に改めて気付いた。何もかもやる気は失せ、
低血糖を起こして身体が震えて・・・身が持たない。
しかし、固形物を食べる事は絶対に出来ない。
太る恐怖が日毎に酷くなっているような気がする。
ゆっくり自分を見つめ直して、明日のカウンセリングに備えたい
と思っている。
早い時間に起床してシャワーを浴び支度をして・・・と言う一連の
動作が出来るかどうか心配でならなくて、寝付く事が
出来なかった。勿論寝付けない理由にお薬を少なめに服用した
事も関係あるのであろうが、結局眠りに堕ちたのは7時過ぎで
あった。会う時間を具体的に決めていなかった為、13時頃に
タイマーをかけて眠ったが、その前の眠っている間に祖母から
電話があった。頭はまだぼやけていて、何もする気が起きず
ズドンと抑うつ状態に堕ち外出できる状態では無くなった。
なので明日に変更してもらった。こうやって約束を反故に
するのは何度目であろうか。本当に迷惑をかけてしまい申し訳
ないと痛感し� �いる。しかし、明日は祖父祖母2人と会えるので
此れは頑張って起床せねばとも思う。外出の為に、
今日は日焼け止めクリームと制汗・デオドライトも購入した。
準備は万端に出来ている。今度こそ約束を果たしたい。
しかしそれをうつ病が阻むのである。身体がどうしようもない程
重く怠くなり、如何ともし難い苦しみに襲われる。
いつから外出できなくなったのであろう・・・。もう思い出せない。
つくづく自分の意志の弱さに腹が立ってくる。苛立ちも湧く。
就眠前に服用するお薬にメジャートランキライザーがある為、
目覚めても暫くは頭が働かない。
こんな時は本当に『自分は駄目な人間だ』とひしひしと
感じてくる。祖母との約束さえちゃんと守れず、明日の事を
思うとまた、眠れるであろうか、きちんと起床出来るであろうか
心配で重荷で心がじりじりと焦がされているように奈落の底に
突き落とされる感覚が身に沁みる。
摂食障害の期間がとても長かった為か、うつ病まで発症して
しまい、強迫神経症は日毎に酷くなるし、PTSDによる
フラッシュバックで身体が固まってしまう程の恐怖感に侵される
のである。いつも何かに追い立てられ、追い詰められている様な
感じがどうしても払拭できなくて、ますます泥濘に足を
踏み入れて足掻き逃れない状態に陥る。目に映るものは全て
色褪せていて、自責感が容赦なく覆い被さる状態である。
お薬はきちんと服用している。だが少しぼんやりとして自分の
意思とか思考等が境界線が曖昧になり� �律する事が出来ない。
唯救いなのは、母がそれを理解してくれて、
「無理して外出する事はないよ。
ゆっくり家で寝てなさい。」と
優しく接してくれる事である。「無理しちゃ駄目よ」
と宥めてもくれる。本当に救いである。
しかし、私は祖父母に会いたいと切実に願っている。
ずっと会えていないので、是非とも会って、仮面であろうが
何だろうが笑顔を見せて安心させたい。
少しばかり祖母も私のうつ状態も分かってくれているから・・・。
兎に角焦っても何もならない。苦手ではあるが臨機応変に対応
出来るようにしたいと感じている。
もう止めたい!食べたくない!と言う思いが強いが、
いつの間にか食べ物を欲して貪っているのである。余りにも
醜い行為に自分にほとほと嫌気がさす。
それに疲れ方も半端じゃなくなってきた。私はうつ病で外出が
困難になり、胃薬を飲み抗不安剤を飲んでまでして
半額セールの始まるスーパーへ行けているのである。なので
歯医者にはずっと行っていない。とてもじゃないがいける状態
ではないのである。私は虫歯どころか、治療途中の歯、折れた歯
そして炎症を起こす親知らずを抱えている。なのでこの半年
抗生物質を精神科で処方されて服用している。こんなに長期に
渡って服用すると、肝臓に多大なるダメージを� ��える。だから
なのか、普段から何ともいえない怠さが抜けない。しかし自分の
組み立てた時間割通り物事をやりこなせねばならないので、
酷く疲れる。
今日は電話診察の日であった。一応眠剤等を少なめに服用したが
起きるのが精一杯で頭は中々覚醒しなかった。そんな中での
主治医との話は時に受話器を落としそうになる程、眠くて朦朧と
していた。さっき自分が言ったことすら思い出せず辛かったが、
唯一心に深く残った言葉があった。
『過食嘔吐は我慢するものではないよ。寂しいと思う
心を自分で抱き締めてあげて、その症状をも抱き締める事が
必要なんだよ。』
というものである。私は目から鱗が落ちた気分に陥った。
いつも自分に言い 聞かせていたのは、『食べちゃ駄目だ』
とか『食べたらすぐ過食嘔吐に繋がるのだから我慢せねば』
と言うものであったから・・・。自分の心にぽっかり空いた穴は、
『寂しさ・哀しみ』に因り出来たもので
あることを改めて思い知らされた気分であった。
しかし今の弱った私にはその寂しい心を抱き締めてあげる事は
到底無理であろう。・・・先日2回目の嘔吐をどうしても我慢
しなければならない状態に陥った時、母が後ろから抱き締めて
くれた。私の中の寂しく疼いていた心が、母の体温のぬくもりに
包まれ、「我慢できる!」と感じ、実際成功した。
其処から学ぶべきものは多いであろう。
しかしいつまでも母がそうしてくれる訳ではない。だから私 が
自分で所謂『過食嘔吐をしたいと思う心』を抱き締めて
やらねばならないのであろう。
我慢を続けていたら、いつか爆発する。良い結果は生まれない。
今日の主治医の言葉は温かかった。この言葉を心に留め、
忘れる事なく、いつか自分の心を温かく抱き締めてやれたらと
願って止まない。
開けたくなくて、こうして綴っている。
昨日は比較的落ち着いていたが、何故か何かに追い立てられて
いる様な、妙な焦燥感に襲われた。
何時にシャワーを浴びて、何時にソイラテを飲んで、
何時になったら読書を始めて、何時には半額惣菜を購入しに
スーパーへ向かう・・・。
様々な病気が重複して身体に起こっていて、とても働ける状態
ではない私は、ドクターストップもあり療養中の身である。
時間は有り余るほどあるはずなのに、いつも何か焦っている。
夜の何時には過食を始めて、何時には嘔吐して・・・。全く以って
うんざりする。その上に抑うつ感が襲い掛かり、拍車がかかる。
これらは強迫観念からき� ��いるものであるが、どうしてゆっくり
ゆったりと時間を過ごせないのかと本当に自分が嫌になる。
6月2日はそんな事を思った1日であった。
哀しいような、そして虚しいような、泣きたくなる感覚が
静々と心に迫ってきている。『このまま済し崩しに生きて
この先に一体何が待ち受けていると言うのであろう・・・。』
と言う想いが頭から離れない。悔しくて悲しくて、でも涙は
出ない。涙を流した所で余計自分が惨めに思えてしまうからで
あろうか・・・。けれど私の周りで刻々と変化していく環境が
悲しみの底に突き落とすようである。
今日は姪が扁桃腺からくる熱で39.5℃もあり苦しんでいたと
不況を通して、あなたのパートナーを支援
聞いた。妹はそれでも夜の仕事を休むことは出来ず、姪の事は
妹の親友に託していた。勿論病院へ連れて行ったのは母で、
そこで解熱剤と抗生物質を処方されたようである。
わたしは子どもの頃、小児喘息を患っていて身体も弱く、
直ぐに熱を出す子どもであった。母は氷枕を作ってくれただけで
家の中とはいえども側にいなくて離れた所にいた。それだけで
熱に浮かされた自分は幻覚を見たり幻聴を聞いたりして
苦しかったものである。出来る事なら側で手を握っていて
欲しかった。けれども母は色々やる事がある為に処置だけは
きちんとして自分のやるべき事をやっていた。それはそれは
心細い思� ��をした。母は恐かった為「側にいて」とは
言えなかった。
39.5℃の熱と言えば、かなり苦しいであろう。そんな時、
母親が側にいてくれない姪はどんな悲しい思いをするのであろう
と考えると、とても切なくなる。代わって涙が出そうになる。
いつもの如く、夜中の2度目の過食嘔吐は酷く辛かった。
『食べたくない!やりたくない!』
と強く思っていても、心はぽっかり空いている穴を塞ぎたいが
為に食べ物を胃へと次々詰め込んでいく作業を止めない。
最近は徹底して嘔吐をする為に、何度もキッチンとトイレを往復
して、微温湯を1リットル飲んではトイレで嘔吐し、また
キッチンへ戻り同じ量を飲んで吐き出す。固形物が全く出て
来なくなって、胃液� �胆汁が吐き出されたところでやっと解放
される。今の体力が全くない状態では、それだけで蒲団の上に
ぶっ倒れてしまう。しかし眠剤を飲まないと頭が冴えて眠れない
ので、寝転がった姿勢のまま数種類のお薬を出して薬包を破り
錠剤も粉薬にされた向精神薬も、胃薬もビタミン剤も一気に
飲み込む。そうしてやっと安らかな眠りにつけるのである。
勿論寝覚めは悪い。目が覚めてから落ち着くまで暫しぼんやりと
していなければならない。急に動き出すと起立性低血圧で
ぶっ倒れてしまうからである。しかし少し落ち着いた所で私は
シャワーを浴びねばならない。その後の行動も既に
決まりきっている。強迫観念の為、決まった通りに物事をこなし
進めていかないと、何か心 地が悪く気持ち悪く感じるのである。
こんな時、臨機応変や考え方のスイッチを切り替えられない
自分に非常に腹が立つ。
ずっとそんな毎日が続いている。泣きたいけれど泣けない程に
追い詰められている。時間を決めてやる過食嘔吐でさえ
強迫観念と強迫行為であると言える。主治医もそう言っていた。
だから時々、
何もかも擲って逃げ出したくなる。
しかし私には逃げ場など無い。この大家にいつも見張られている
様な針の筵のような家・部屋で息を殺して過ごしている。
だから、夜になってしまうと抑制していたものが暴発して
過食嘔吐となってしまうのであろうと薄々感じている。
私の今のストレス源は沢山ありすぎて綴りきれない。
それは、はっき りとしたものから漠然としたものまで沢山ある。
しかし、消える事も死ぬ事も赦されない。
茫然自失のまま1日を終える毎日は大変苦痛である。
スーパーへ行く道すがら、空を見上げると太陽など見えない
厚く薄いグレーの雲が立ち込めていた。空は灰色一色であった。
歩きながら泣きたくなった。私の事等どうでもいいから、
今苦しんでいる妹や姪を救って欲しい。そして母を少しでも
休ませてあげたい。けれども私の病気は重篤さを増す一方で
成す術はない。涙が込み上げてくるのに呆然としている心には
何も感じ取る力がなかった。
少しでも自分に余裕があれば、母はこんなにも苦しまなくて
済むのにと思うと本当に申し訳ないと感じる。
私は一体何処へ向かって進� �でいっているのであろうか・・・。
付いて行かない。「何も食べたくない」と思っているのに
いつの間にか、食べ物を口に運んでいる自分がいる。
何かを埋める為に、寂しさを紛らわす為に。
過食嘔吐を終えると、急速に抑うつ状態に覆われる。
また虚しい事をしてしまったと、心は埋め合わせたものが
無くなった不安から、あちらこちらを彷徨い始める。
物凄い罪悪感と後ろめたさが次から次へと襲ってくる中、
途方に暮れて唯ぼんやりと無為な時間を過ごす。
過食をしている最中も、苦しみながら涙を流し嘔吐している
最中も何処にも助けなど無い。1口食べ物を口にしてしまった
ばっかりに過食へと繋がってしまった、自分を呪う以外� ��は
無い。
まるで操り人形のようである。マリオネットの様に時間が来れば
私は日課となった事柄を始める。
『摂食障害の思念』に脳をも侵された状態で、透明の糸が
私の手を操り食べ物を口に次々と運び、止まらない。暴走した
その行為は嘔吐が終わった時点で操られた状態から解き放たれ、
その劇は終焉を迎える。くしゃりと糸が綻んだ状態で私はやっと
自分を取り戻せる。しかしそれは罠であろう。強かに次の
過食嘔吐を糸を操る侵された脳が待機している。
阿呆大家の『吐く位なら食うな!!』
と言う言葉は脳裏に焼きついていて、私は拒食に拍車がかかった
状態である。その後も色々ごたごたがあり、栄養摂取の為の
スープさえ喉を通ら� �くなった。
それでも救いの手段があった。この借家6軒に住んでいる人達と
結託して、皆の意見として大家の矛盾した行動に突っ込みをいれ
私達、周りの人達が『より良い生活環境』を求めるべく
抗議する事に決まったのである。私はかなり疲弊していて
行動力も失せ、抑うつ状態が酷く思考が上手く働かない為、
母やこの借家に住んでいる人達と共に頑張る事となった。
先日、夢の中に『オー○の泉』のお二方が出てきた。
夢の中でお二人は「心をもっと寛容に持ちなさい」と
仰っていた。夢の詳細までは覚えていないが、そのメッセージが
心に深く残っている。不思議な夢であった。
心が弱っている時は、身近にあるものに縋りつきたくなり、
依存状態に陥る。苦し� ��れば苦しいほど周りが見えなくなり
依存の罠が待ち受けているのである。
今の私はきっとこの『食べ物』に執着し
依存して過食嘔吐を繰り返すのであろう・・・。そして操られる様に
『食べたくない!!!』という意志に反して
過食を行う。お腹等減っていない。吐く辛さを味わいたくない。
私は今、正に罠の中で足掻き、余計にその罠は体に絡まり、
マリオネットの糸だけが正常に、私を依存の底へと突き落として
いる感じが否めない。
私達家族だけでは手に負えなかった下水問題、下水管工事etc...
借家に住んでいる人々と結託できたら、その発言力は抜群に
強さを増すであろう。それだけが今の救いである。
ゆっくりと前へと進めれば・・・時には立� ��止まって休みながら。
先ずはこの俯きがちの顔を上げたいと願う。
些細な事で躓く。例えばトイレの流れ一つで私は途方に暮れて
「いつ、また詰まってしまうのだろう」と
胃や頭が締め付けられるような思いでびくびくしながら過ごす。
でも、主治医は過食嘔吐を無理して我慢する事は良くないという
考えを持っている人なので、私の苦しみを解ろうとして下さる。
母より1歳年下の男性医師であるが、摂食障害についてよく
勉強していらっしゃって、私の心を優しく時に厳しく労わって
下さるので、私は安心して主治医とお話ができるのである。
摂食障害で過食嘔吐・拒食である事をちゃんと把握して
下さっていて、適切な言葉でその病気であることの意味を
説いて下さる時、よく『千と千尋の○� �し』のアニメの物語が
用いられる。私は主な登場人物の特徴を全て持っていて、
それはきっと他の摂食障害の方々も同じなのであろう。
"かおなし"の誰にも気付かれず無視されたり厄介者
扱いされたりする寂しさ・哀しみ。
"ハク"の湯婆に支配され、無謀にも命を擲ってまで
命令に従ったり自分の名前を取り戻そうとしたりする様。
その為に半死半生のみになって油場に帰ってきて苦玉を千尋に
飲まされ暴れまわる姿。
"千(千尋)"の献身的で、両親を救う為やかおなしを
助けたり、ハクを救ったりする姿。
どれも私の中にある要素であり、きっと同じ病を持つ人の中にも
あるものであろうと感じる。そして私は今の状態が色濃く
かお� ��しである事も主治医に説かれると納得がいく。
3歳の時から『お姉ちゃん』として
生きてこなければならなかった自分。母の苛立ち・八つ当たり的
叱責、殴打は殆ど私に向けられた過去。妹が叱責を受け体罰を
受けている時の生々しい音。あの痛みを味わうなら私だけで
いいと感じた事。自分が殴打されるのならまだ良いが、妹や弟が
打たれたり蹴られたりしている姿を目の当たりにするのも
辛かった。私が代わりたかった。しかしそういう考えそのもの
こそ『大人に取って都合のいい子』であったのであろう。
病に侵され、養生中の身であると、その『いい子』は邪魔な
考えとなる。素直な自分を出せず殺してしまうからであろう。
つまり病気の世界で『い� ��子』は『不良病人』だと
主治医は仰った。漠然と何となくであるが、納得のいく言葉で
あると感じた。要するに、『かおなし』の「寂しい、寂しい」
という台詞を素直に出して生きていけられたらいいのである。
本当は、そんな弱みを見せずに、この病を患っていても頑張って
社会に出て働いている人の方が素晴らしいと感じている。
しかしその人達は大抵沢山のストレスを抱え、病気が悪化の
一途を辿っている感じは否めない。でもその姿は尊敬に値する程
素晴らしいものである。
今日も地獄の苦しみの中過ごす夜を呪っている。
電話診察のあった日は、思考回路がまるで迷路状態になって
しまって只管立ち尽くすしか術はない。ゆっくりと言葉を
咀嚼し自分のも のにしていくしかない。
明日は晴れるらしい。こんなにも抑うつ状態であると太陽の光が
余りにも自分にとって眩しすぎて負けそうになる。
しかし、私は母の為に生きねばならない。母が死ぬまで私は、
死んではならないのである。『蛇の生殺し』と言っても過言では
無いが、生きているだけで母が安寧を得られるのであれば、
どうにかしてあらゆる辛苦を耐えようと感じるのである。
見ているように褪せている。それはきっとこの抑うつ状態から
中々抜け出せないからであろう。窓から空を見上げても、
重苦しい雲が太陽の光を遮っていた。
過食嘔吐は、やりたくてやっている訳ではない。摂食障害を
患っている人達もきっと同じ思いであろう・・・。でも心も身体も
脳も『食べて食べて食べ尽くして全て吐きたい』という
強迫観念の元行動に移す。抑制してもやがて爆発してしまう。
我慢が出来ない自分がとても悔しく、惨めに思えるのである。
『トイレと下水問題』にいつまで悩めばいいのであろう。
毎晩びくびくしながら過食をして、嘔吐をする。余りの苦しみに
涙が止まらないが、や らなければ自分を許せないのである。
そこら辺が病気である所以であろう。きっと自傷の一種
なのかも知れない。もう少し気力がある頃は、平気で手首を
切りつけていた。深めに切り、血が沢山出たら、自分の中の
汚いものが流れていくような錯覚があった。それで落ち着く
と言う部分が大きかった。しかし今は手首を切る為に消毒液や
血を受け止める新聞紙、剃刀にティシュー等のセットを揃える
余裕さえも無くなった。偶に頭が混乱し、自分を激しく罰せねば
ならないと追い詰められている時は、他の方法で自傷して
しまううこともあるが、中学生の頃から長年傷つけた手首や腕は
デコボコしていたりケロイドが残ったりしているが、色は薄く
なってきた。
嘔吐問題で 、コメントに色々なアドバイスを頂いた。本当に
嬉しく、私の為を思って残してくださった事を大変感謝して
いる。過食嘔吐をしているから、大家に余り強く出る事は
出来ないが基本的な、6軒分の借家を暮らしに支障が無いように
するのが大家の仕事である。しかし、殆ど無関心で、お金だけに
執着してがめつく、去年地下水を汲み上げるポンプが壊れた時
でさえ、私達家族が訴えた時は『必要ならこの家の庭に水を撒く
水道からバケツで汲んでいけ』とあしらわれた。
しかし他の家庭が水が出ないと困ると訴えたら、
即業者を呼んで修理した。
しかし、古いので元から壊れている為応急処置の様になったが、
何故此処まで差別されなければならないのかと、本当に悔しく
虚し く悲しかった。他にも私達家族だけ色々な差別があるが、
敢えて此処では綴らないようにしよう・・・。
私は、心の穴を塞ぐ為に必死で食べ続け、それは異質だから
嘔吐するのである。だから私が吐いた物は即ちあらゆる思念も
含まれた忌まわしきものである。それをゴミの日まで溜めておく
という事が凄く凄く恐く、そのゴミ袋を目にする度に心が痛む
のである。今日も汲み取り業者が来なかったと言う事は、
またトイレの水の流れが悪くなる恐れが大いにある。
大家の家は途轍もなく広く大きい。他にも土地を駐車場にして
その利益もある。けれども借家に住んでいる私達の安住について
何も頭にないようである。
重苦しい雲が立ち込める中、私は只管鬱々と悩んでいた。
� ��と、私の存在自体が最初から無かったものにならないかなと
考えた。所謂現実逃避であるが、これ以上生活が脅かされ
苦しい思いをする位なら、死んだ方がマシである。
この後、きっと私は強迫観念に勝てず過食してしまうであろう。
コメントに頂いたアドバイスを実行したいが、
トイレに嫌な思いと共に戻したものが流れ行く事に意味があると
私は感じている。小さな頃からの哀しみ、辛苦、痛み。
別の方法でどうにか解消できないものかと鬱々と考える。
どうかトイレの流れが綺麗でありますようにと願うしかない・・・。
なんと、6軒分のトイレの排水が溜まっていく浄水槽(下水槽?)の
水位がぎりぎりまで来ていて、これ以上流したら溢れてしまう
と言った状態になっていたのである。原因は勿論
マッサージフォールズチャーチ、バージニア州
がめつくてケチな大家が汲み取り業者に汲み取りを
頼んでいなくて溢れそうになっているという事である。
6軒並んだ借家。外の道路にはもう下水管が通っているのに、
金がかかるからと家々に下水管を通していないのである。
浄水槽が満タンになっていたのに気付いたのは、昨日1度目の
過食嘔吐をした後突然流れが悪くなったからである。
排水路の掃除をしても何も詰まっていない。原因は6件分の
下水が流れ込む浄水槽が満タンだからである。だから水を
流すだけで少し逆流気味になるのである。
情緒が不安定になり、過食嘔吐を我慢する事は主治医にも
無理しては駄目だとされて いる為、どうしてよいのか全く
解らなくなって、唯々泣き叫ぶしかなかった。過食嘔吐を
無理に無理を重ねて我慢して抑え込むと、いつか暴発する。
其処で沸々と希死念慮が湧いてきたのである。
『死ねば煩わしい事一切から解き放たれる・・・。
死ぬ事だけが頭の中でぐるぐるして、締め付けられるような
頭痛を感じていた。だから昨日は1回の過食嘔吐で何とか
我慢できたが、今日は1回も出来ないかもしれない。
『過食嘔吐』に因って何とか自分を保っている状態なので
正に蛇の生殺し状態である。一層の事殺してくれたらとまで
思念は及んだ。
母は、今朝大家にそのことを電話で告げたが、
「ふん、そうか」とだけ言って電話を切られたと言う。< /p>
処理をするとも何も言わずに・・・。昼過ぎにまた電話したら
今度は留守電であった。車もあったし、いない筈は無い。
何処まで私達を苦しめるのであろう・・・。凄く反社会的な思想が
脳裏に浮かび、何もかも滅茶苦茶にしてしまいたかったが、
大家は糖尿病を患っているのだから、放っておけば死ぬ。
しかし『憎まれっ子世に憚る』という説があるから、
もしかしたら私の方が身体が弱って先に死ぬかもしれない。
昨日の私は無気力かと思えば泣き叫び、唸り声を漏らし、
自分が自分ではないようであった。
心に余裕が無くなると、目に映る自然がすべて色褪せて見える。
真っ赤な薔薇もくすんでいる様で、空を見上げれば重い雨雲が
私の気分の様に立ちこめ、夕方に� ��もう辺りが暗くなっていた。
憂鬱な気分ながらも、やはり『過食嘔吐』からは
逃れる事が出来ない。最早自分の一部であるからである。
昨日2度目の過食と嘔吐を逃れる為にずっとビールや
リキュールのカクテルを飲み、氷を只管齧っていた。いつもなら
2度目の過食と嘔吐で飲んだお酒すら吐き出してしまうので
不快感はないが、胃や肝臓が弱った私にとってお酒が入ったまま
眠りに就くのは大変苦しかった。何とか胃薬で不快感は
治まったが、怠さは抜けなかった。
大家は『家を貸してやっている』という傲慢な態度で、
それは私達母子家庭の家族だけに向かって特に顕著である。
私は一度も母子家庭であることを恥じた事等ない。けれども
昔の古い頭を持った意� ��汚い大家はそんな事お構いなしで
高圧的な態度を私達家族だけに取る。しかし引っ越す気力も
先立つものも何にも無い為、我慢して過ごすしかない。
私にとってのストレス源の大半がこの馬鹿大家であると言っても
過言ではない。
もう何もかも嫌になった。母の為、生きなければならないので
幾ら強い希死念慮と言う悪魔が私を襲おうとも、抗って生きる
道を選ばねばならない。
疲れてしまった・・・。本当に・・・。このままもっともっと痩せて
消えてしまえればいいのにと脳裏を掠めてしまう。
とてもダークな内容の日記になってしまい申し訳ない・・・。
天気予報では雨であるが、ぱらぱらと弱い雨音が聴こえるだけで
どうやら土砂降りにはなりそうに無い。きっとこのまま余り
日照時間の少ないまま入梅するのであろう。
今日は電話診察の日であったので、薬は大分減らして服用した。
すっきりした目覚めではなかったが、主治医が今日は午後から
出張へ行く為、12時半から凡そ1時間だけの診察となった。
主治医は、どうやら摂食障害若しくは過食嘔吐と言う漠然とした
症状を説明する術、はっきりとした病名の無い事について
色々考えて下さっていたようである。
『摂食障害』と一口で言っても、人それぞれ症状は
様々である。原因も人によって違うし、心の傷の深さも苦し� ��も
違ってくる。やはり例えとして、『千と千尋の○隠し』が
用いられた。
とてもしっくりと来る例えが見つかった。
登場してくる『顔なし』は誰からも相手にされず、
唯其処にたたずんでいたが、千(千尋)は気付いた。顔なしは
そんな千に喜んでもらう為に様々な事をする。そして肝心なのは
その行動である。
顔なしはまず蛙のお化けみたいなものを金で呼び寄せ食べた。
そして喋る能力を身に付け、千を求めるべく従業員達に金を
ばら撒いてどんどん食事を持ってこさせる。それをがつがつと
貪り、その間にも従業員を飲み込みもっと色々な能力を
身に付ける。食べて食べて・・・と言う様は、過食症の症状
そのものである。そして千に会い、心を奪わ� �として金を
手から溢れ出させる。しかし千はそれを受け取らない。それは
千に必要の無いものだから。しかし顔なしは、千を、千の愛を
欲する。だから次々と従業員を食べて食べて・・・。しかし千に
よって苦玉を食べさせられ、千の為に食べた物を嘔吐していく。
千の心も愛も金では手に入れられない。でも千によって
飲まされた苦玉によって、埋めたかった心に仮詰めした食べ物を
どんどん吐き出していく。そして顔なしは呟く。
「寂しい、寂しい・・・。」と・・・。
その後、千に因って銭婆の所へ連れて行かれ、其処で居場所を
見つける。少し解りにくくなってしまったが、つまり
顔なしが摂食障害を患った人で千はそれを救う人
と言った所で� ��ろう。私は顔なしであり、私にとっての
千は、母である。
上記に述べた例は、勿論全ての人に当て嵌まる訳ではない。
しかし私の身の上で起こっている症状は正にこの通りだと
しっくりときたのである。穴の開いた心に食べ物で埋め合わせを
して、それは異質のものであるから嘔吐する。今の所私を救って
くれているのは母。私の奥底に眠っている『寂しい』
と言う感情が過食嘔吐に繋がっている事も納得できる。
閑話休題。
今日はいつもより早く目覚めた為、時間の過ごし方に困った。
余りにも普段より時間が有り余っている為に、過食衝動が
湧くということがとても恐かった。だから私は急いでシャワーを
浴び、過食嘔吐を出来ない状態にした。しかし土� �日はTVも
余り面白くない。其処で大分前に購入していたDVDを鑑賞する
事にした。『鳶がくる○と』という作品である。
ずっと毎日抑うつ状態が続いていたので、2時間も画面の前に
集中して居座る事が苦痛だったから避けていたが、日中のお薬を
服用した後だったので幾分心が楽になっていて、漸く封を開ける
日が来た。特典映像も満載で、勿論本編もとてもリラックスして
楽しんでみる事が出来た。コミカルな作品なので、力を抜いて
鑑賞できた。観終わった後、何かほんわかした気持ちが残った。
それにしても観月ありさの脚線美は素晴らしいと改めて感じた。
小学生の頃から好きだったので、後10cm身長があれば・・・とか
もっと痩せたいとその頃から思っていた。
丁� ��両親の喧嘩・・・と言っても父が一方的に母を怒鳴り罵るもので
あったが、その苦痛を感じているとき、伸びやかに美しい彼女を
TVで観た時から心を奪われた・・・。ファン暦14年には
なるであろう。飽きっぽい私にしては随分長く続いているもので
ある。夏からドラマが始まるので、それも楽しみにしている。
そうして難しい時間の過ごし方を有意義に過ごす事が出来て、
ずっと鬱々とした状態でなかった事は久し振りだと感じる。
過食嘔吐について・・・。今は無理して我慢したり抑制したり
するべきではないと感じる。無理などせず、自然でいられたらと
思うが、如何せん夜になればその苦しみが待っているので、
諸手を挙げて歓迎できるものではない。成るべくなら
やりた� �はない。
どうやら雨が降り始めたようである。車が水溜りを跳ね上げる
音がざわざわと心に忍び寄ってくる。
せめて穏やかな夜を過ごしたい。過食嘔吐は唯でさえ苦痛で
恐怖さえも喚起するのであるから・・・。
過ごしやすかったが、こうも日々に温度差があると身体がついて
いかない。しかし雨が汚れた空気をも流し去ってくれるようで
心地は良かった。
『食べるという事』は私にとって拒絶する心を上回る程の
恐怖感を覚えるものである。大学生の頃は講義が始まる前に
コンビニで買ったおにぎりを夕飯代わりに1つ若しくは半分だけ
食べたり、寒い日には甘いココアも飲んでいた。未だ固形物を
受け容れ、消化する事を許せていた。しかし今では御飯なんて
食せない。米粒一つですら許せない。それで物凄く太るなんて
事は無いと解っているのであるが、拒絶してしまう。
『食べる事は即ち恐怖』なのである。
だから過食をする時は忘我の境地にいる。我を忘れなければ
食べる事なんて怖くて出来ないからである。そして最近頓に
感じるのは、『私は吐く為に食べている』という事である。
無我夢中で食べ物を胃に詰め込み、次に食べるものを考えながら
ノンストップに胃が限界を訴えるまでそれは続く・・・。
反して日中は『食べる事』を頭から徹底的に排除している。
そうしないとあらゆる恐怖が襲ってくるからである。
『太る恐怖』『食べる行為への恐怖』
『自分を保てなくなる恐怖』etc...
だから私は起きてすぐにシャワーを浴び、体力を消耗させて
食べる気力を失わせる。そして時間を持て余さないようにと
ミネラルウォーターを只管飲み続け、氷を齧り食べる。< /p>
氷の水分ならば私にとって何の脅威も感じないでいられる。
しかし夜になれば我慢していた事なのか、抑制していた事なのか
どちらか解らないが、『過食嘔吐』が爆発するのである。
そして私は自我を忘却の彼方へ追いやり、食べるのである。
こうして綴っていると、本当に私は食べる事が恐いのだと
実感する。嘔吐した後は、低血糖や低カリウム血症を防ぐ為、
野菜ジュースを何口か飲み下し、甘い調整豆乳も飲む。
それでも身体が震えたり滅茶苦茶な怠さが襲ってくる場合は、
黒糖を齧りチョコレートを1粒口に含む。
其処までして身体を痛めつけて、唯々『痩せた体』を
欲する事に何の意味があるのか。
昨日母に「それ以上痩せないで・・・。」と言われた� ��、未だ自分は
太っていると感じる。認知の歪み・・・正にその通りであろう。
でも今や食べる事は恐怖であるから
食べて栄養を摂取する。という行為が
本当に難しい。1口何か固形物を食べてしまったら即過食へと
繋がってしまうのであるから・・・。
こんな厄介な病気を治す術があるのだろうか。自分の意識を
変えない限りは治癒へは程遠いであろう。けれど私は
太るくらいなら死んだ方がマシだと歪みに歪みきった
意識しかない。私の身長であれば40〜42kg位までなら
許せる範囲かもしれない。でも私は頑なに30kg台である事に
物凄く拘っている。確かにこれ以上痩せてしまうと身体も脳も
正常な働きをしなくなる。現に月のものが2ヶ月来ていない。
貧血� �酷く、過食嘔吐後などは目の前が真っ白になる。
某漫画家の言葉を用いると、「Diet or Die?」という
病気である。
しかし私が此処まで痩せに拘るのは、小さい頃からぽっちゃりと
していてその所為で苛められた事があるからである。
太っていると女子として扱ってもらえず小学生の頃は失恋ばかり
繰り返していた。勿論性格の問題もあったのだと思うが、全てを
体型の所為にしてしまった所が間違いの始まりだと感じる。
少しずつ、今はスープを摂取するようにして栄養を得ている。
これ以上母に心的負担をかけないためにも、現状維持という事で
やっていこうと思っている。
夜間大学生だった為、講義が終わるのは21時10分。
その後友達と色々お喋りしたり、図書館で調べ物をしたりすると
自転車で片道40分かかる所にあった大学から帰ると22時を
大幅に過ぎていた。でも夜道は恐い事なんてなくて、元気な時は
人通りの少ない道で歌を唄う事もあった。擦れ違う人には
吃驚した顔をされた事もあった。懐かしい想い出である。
しかし今や夜が来る事がとても恐い。何故なら、やりたくもない
『過食嘔吐』を『やらねばならないから』である。
毎日過食嘔吐としてトイレで流される為に買ってくる半額惣菜、
歯が抜けていたりむし歯だったり穴が開いたままだったりと
放置したままの痛みを感じる歯でも食べら� ��るような物。また、
吐き易いとされているものを大量に買ってくる事。暴れ出したい
程に自分が嫌になる。身体を滅茶苦茶に壊したくなる。
私にとって『食べる事』とは即ち『嘔吐する事』
となっている。固形物の食べ物を胃に留めておく事なんて、
出来ない。だから嘔吐の時も胃洗浄の様に、吐ききったと思った
後で2〜3度お湯を大量に飲んで吐き出すようにしている。
今では食べ物を見るだけで吐き気がする程なのであるが、
心の何処かが食べ物を強く強く欲していて、穴が開いたままの
部分にそれを埋め合わせて補おうとしているようである。
しかし心に開いた穴は食べ物では補えない。だから異質のもの
として嘔吐するといった具合であろうか。
本当に、心� ��ら、普通に食事が出来る人が
羨ましい。
『お腹一杯で幸せ!』
と言える人を羨望する。
ちゃんと「いただきます」、「ごちそうさまでした」と
御飯が食べられる事に感謝の念を抱き食事を終えたい。
けれども私にはこの先到底無理だと感じている。どうしても
固形物の食べ物は受け付けないのである。
『拒食と過食嘔吐』が重複して身の上で
起こっている事に、もう私は成す術が無い。
だからこそ、夕陽が落ちて夜の闇が忍び寄るのが恐怖と感じる
のである。これから苦しい苦しい事を自業自得でやらねば
ならない心。「食べたくない」と「沢山食べたい」と言う
心の狭間で身が引き裂かれそうになる。
「美味しいね」と笑いあいながら家族と食事をしたのは
いつが最後だったであろう・・・。外食を楽しみにしていた子どもの
私は今の自分を想像できたであろうか。
毎日惨めに食べたくも無い半額惣菜を買い漁り、トイレが詰まる
事に多大なる恐怖を覚え、常にびくびくしながら過ごす日々。
『死ねば楽になれるよ。全てが終わるよ。』
と言う甘い誘惑。こんな苦しい日々に終止符を打てるのであれば
心も身体も脳もそちらへとなびいて行く。
しかし生きねばならないと言う責務を負い、自殺を固く禁じられ
ている私には、『蛇の生殺し状態』である。
摂食障害を寛解に向 かわせる為には、きちんと食事を摂取して
太ると言う恐怖を捨てなければならない。しかし、私の
『痩せ願望と太る事への恐怖』は深く深く心に根付いて
いる為、容易に摘み取る事等出来ない。日々太る事への恐怖を
感じつつ、シャワーを浴びる時に裸になりお腹がへこんでいる
事で安堵感を覚える。足首を指で掴めること、二の腕がもう少し
だけ頑張って痩せれば指で掴める様になる事だけが、今の自分の
支えとなってしまっている。体重が減れば、それだけ身体は
動かなくなり、怠さも半端無くなるのは承知の上で・・・。
これ以上兄弟や母に心配をかけてはならないと充分に解って
いるが、どうしても、いつまでも、痩せ願望は消えてくれない。
いつか、いつの日か普通� ��食事を楽しんで出来る事を、
心の底から願っている・・・。
上、物凄く疲れた。疲れ過ぎると睡眠が充分に取れない為、
只管ぼんやりする頭と疲労を引き摺る身体を持て余していた。
「夜中に過食嘔吐なんてしたくない!!!」
と強く思うのであるが、最早習慣となってしまい、強迫観念と
惰性とが両々相俟ってしまっている為容易に止められない・・・。
食べている間は『虚無感』に侵されている。
無為に次から次へと食べ物を口に入れ胃に収めていく様は
誰にも見られたくない。最早人前では食事が出来ないほど、
『食事は恐いもの。過食嘔吐前提でないと食べられない。』
といった状態に陥っている。このような状態では社会に出ても
上手くやって 行けないであろう。
今日は久し振りに弟が家にやって来た。どうやら原付に乗って
いる時、ヘルメットを被らず首から後ろにかけていた状態だった
所を警察に捕まり、講習を受け直さねばならなくなったと言う。
以前から「ちゃんとヘルメット被りなさい」と散々注意し、
危ないから心配で仕方なかったので、これを機に格好つけず
きちんとヘルメットを被ってくれるであろう。
弟は、姉である私の事をとても心配してくれる。
「外出できてる?」「また痩せたんじゃないの?」「体重は?」
と矢継ぎ早に問いかけてきて丁寧に答えるが、体重の数値を
言うと、「それじゃ体も動かんよ。ちゃんと食べな。」
と言った。私は「いいのいいの。後2〜3kgは痩せても大丈夫
だか� �」と言うと「もう心配なんだからそれ以上痩せるな!」
と叱られてしまった。6歳年下であるが、凄く私の事を心配して
くれている事が嬉しかった。本当にありがたいと感じた。
しかし私も弟の事が心配である。今働いている塗装屋は
いい加減な所で、社長はボンドを吸っているという噂から
「ボンド」と呼ばれているらしい。本人は外国俳優のジェー○ス
ボンドと思っているらしいが。弟に八つ当たり的なことを
することも多く、次の仕事を探さねばならない状態になって
しまっている。それよりももっと問題なのは、『食事』の
事である。今、弟はある事情から父の家に住んでいるが、父も
出来合いの惣菜やお弁当で御飯を済ませているらしく、弟も
食事はいつもコンビに� �当で凌いでいる。それでは栄養が偏って
しまい、何れ身体を壊してしまうと心配でならない。それは
母も同じ意見で、弟に「週に何度かは家に夕飯食べに来なさい」
と言っていた。まだ19歳の弟がこんな食生活を続けていると
いつか身体を壊してしまうかもしれないと本当に心配である。
まあ、その前に自分の身体を心配をしろと言われてしまうが・・・。
本当に久々だったので色々な事を話せたのが嬉しかった。
今日は弟が来るというサプライズがあったからか、母も幾分
嬉しそうにしていた。少しテンションが上がったのか、私とも
沢山のお話をした。一緒に買い物をしている時に、会話を
交わせたことが私もとても嬉しく感じた。
特に今日はATMに、生命保険代と定期預金用の� �金を
振り込もうと列に並んでいたら横からすっと図々しいオバサンが
順番を抜かして私の前に立った。イラっときたが、順番は
守らせてもらうぞと、その時操作していたおじさんの横後ろに
つけたら、おじさんが終わった後、堂々と割り込んできた。
腹が立ち、「私が先に並んでたんですけど?」と言ったら、
「私が先よ。」と全く図々しい事この上なかった。
もう言い争う気力なんて無いので、「あぁ、もうどうぞ」と
譲った。あのオバサン特有のふてぶてしさは何処から来るので
あろう・・・。その事で母と会話が盛り上がった。
嫌な事があっても、母とこうして会話を持つ事で発散される事が
嬉しかった。本当に母の存在の大きさを改めて感じた。
もし独りなら暗い暗い 気持ちのまま、すっきりしない気分を
持て余していただろうと感じる。
今日は久し振りに弟とお話をして、母とも沢山会話して、
幾分心が軽い。しかしこれから訪れる過食嘔吐の宴を考えると
気は重くなってしまうが・・・。
取り敢えず焦らずゆっくり進もう。もう私は今更焦ったって
何も手に入れることなんて無いのだから。
母の為に生まれて来た私は、母が死ぬまでは生きる。その後の事
なんて分からない。『生きる意味』は母が息を引き取った
時点で私には無くなるのであるから、その後の事は天に任せると
したい。
せめて読書する時間をたっぷり取れるよう、生活習慣を
少しずつ改めたいと思う。
同じ病を抱えた人でも社会に出て、生きていく為に一生懸命
働いている人がいる。私も働いていた時期があった。しかし
帰宅したらすぐ過食嘔吐が始まり、殆どエンドレスに夜中まで
繰り返し、寝不足のまま働いていた。辛かったし苦しかった。
その頃はまだ妹達と同居していた為、過食嘔吐のことで毎日
責められていた。息を殺しながら物音をなるべく立てないように
気を配り、ストレスフルの中ストレスの溜まる過食嘔吐を
続ける毎日であった。派遣契約は半年だった。変な所で几帳面な
私は幾ら疲れていても具合が悪くても、休まず出社した。
しかしやはり契約終了後ダウンした。物凄い抑うつ状態に襲われ
動けなくなった。し� ��し早く次の仕事を探さねば家族から
責められる。また、『働かざる者食うべからず』と
言った雰囲気が家を覆っていた為、私は必然的に邪魔者と
された。
閑話休題。
このような世知辛い世の中で、家族にも理解されず摂食障害に
苦しんでいる人はごまんと居るであろう。その方々に比べたら、
今の私なんて働いてもいなくて、うつ病の為に動けず、毎日
抑うつ状態の小さな波に心を左右されている自分が「疲れた」
等と言う事は不適切かもしれない。
けれども、小学生低学年の頃から抱える「死んでしまいたい」
と言う気持ちや母の自殺未遂を、手首から血が溢れ側に包丁が
ある光景が頭に焼き付いてフラッシュバックしてしまう現実は
どうにも否めない� ��希死念慮を抱えつつ、母が生きているから
死ぬ事はできない事。そして私の出生の理由が母を支える為、
母の味方となる為であるのだから、先に死に逝くのは赦されない
という気持ちだけで生きているのである。
過食も、嘔吐も、多大なる疲労を覚える。胃が限界を訴えても
脳は満足しなくて苦しくなるまで詰め込み、自分の中にある
嫌なもの苦しいもの辛いものと共に嘔吐する・・・。本当に
「疲れた・・・。」
としか言いようがないのである。
今日の電話診察では、母も私も生真面目であるから、もう少し
力を抜いてお互いを思い合い、励まし合い、共存していくように
なれたら良いと諭された。お互い柔軟性が足りないのだと
感じた。私は特に臨機応変が� �来なくて、母に迷惑をかけたく
ないと思っても、心配は出来るだけさせたくないと思っても、
体が本当にくたばってしまうまで頑張る部分があり余計に
母に心的負担を与えているかも知れない。
過食嘔吐後の使用した食器洗いや片付けも、本当なら体が幾分
楽になった次の日にやっても良い事である。だが以前妹が居た時
食器を溜めて置くと厭味や罵詈雑言を浴びたり、2年前向精神薬
中毒で入院していた精神科の主治医と友人の、摂食障害に理解
無い、総合内科の主治医に「後片付けだけは責任持って
やらねばならない」と諭されたりした事がある。その事から、
何が何でも、目の前が真っ暗になって倒れそうになっても
後始末だけは律儀にしている。
摂食障害の愚痴だけの� �記となってしまった事が申し訳ない。
過食嘔吐が自分を支えているのと同時に、拒食状態を貫いている
時間も、私を支えている。食べていない間、水分は摂取するが
じっくりと好きな読書を嗜め、離れた所に住んでいる親友と
メールを交わせる。唯一ゆっくり出来ている時である。
徐々に過食嘔吐の回数を2回から1回へと減らせたらもっと
身体も心も楽になるかもしれない。しかし衝動とは恐ろしく、
理性を全て打ち壊してしまう。そんな自分は酷く醜く感じる。
せめて夜中の過食嘔吐を早めに切り上げ、拒食状態でも
落ち着いて自分の好きなことが出来る時間を増やせれば心にも
ゆとりが生まれる気がする。
兎に角焦らない事が大切なので、ゆっくりやっていきたい。
滅多に無いので少し眠気を残しつつ、寝惚けた頭で潔く
シャワーを浴びてしまおうと思った。蒸し暑い微風の吹く午後。
カラッと晴れて涼しい風が吹けば過ごし難い事は無いが、
この暑さには参ってしまう。
熱めのシャワーを浴び、冷水を浴びた後は頭もすっきりと
してきた。いつもより少し余裕を持って時間を過ごす事が出来る
という事がとても嬉しかった。最近、日中に過食衝動が起こる
という事が無くなった。読書をしたり、祖父母を思いながら
千羽鶴を折ったりと、抑うつ状態ではあるものの時間の少し楽な
過ごし方を得られたような感じがしている。
ホットのソイラテを飲んでいる時は暑くて仕方なかったが、
ミネラ ルウォーターに氷を入れて飲み続けていると、丁度良い
感覚が戻ってきた。しかし氷をこんなにも食べていたら流石に
寒くなってくる。水を2リットル飲むことは身体に良いと
されているが、冷えは女性の身体に良くないと分かっているので
全ては相殺されて、自分のやっている事が良いのか悪いのか
分からなくなってくる。しかしきっと氷を此処まで沢山食べて
しまうのは貧血の所為であろう。顔色も青白いし、眼窩も
真っ白であるから・・・。でも何だか氷を食べていると落ち着く
ので不思議である。
シトラス系の花の香りが部屋に流れ込んでくるのは、歩いて
30秒くらいの所の家に大きな実を付ける柑橘系の木があるから
だと気が付いた。だから今日も買い物に行く時その家の� �道路に
はみ出た大きな柑橘系の木の白い花に顔を近づけると爽やかな
芳香が胸をくすぐった。アロマ効果でもあるのだろう、
少し心が軽くなった。しかしいつまで経っても憂鬱な気分は
もう日常の様に、当たり前に身体中に蔓延っている。
『私なんて周りに迷惑ばかりかけてばっかりだから
生きていない方がいいじゃない。』
『消えてしまえば周りの人達はもっと幸せになれる』
といった想いが頭の中を巡り廻る。勿論、馬鹿な考えで
仕様も無い想いだとも分かっている。しかし私が楽になれて
周りの人の負担が少しでも減るのであれば、その選択も強ち
間違いではないであろう。無論、家族が自殺してしまった後に
残る酷く深く大きな傷を知らない訳ではない。
� ��れどもいい加減この摂食障害に振り回される事に
うんざりして疲れ過ぎてしまったのである。
間違った例えなのかも知れないが、過食嘔吐は断末魔の苦しみ
と言っても過言ではない。必死の形相で若しくは虚ろに胃へと
次々に食べ物を詰め込み、一気に吐き出す行為は醜い上に
相当の苦しみを呈する。何とか、
『この症状は自分にとって必要なんだ』
と言い聞かせて自分を保つようにしている。しかしその後に
襲ってくる憂鬱感、抑うつ状態は避けられない。全てが終わった
後には本当に呆けた感じになっているのである。
いつまでこの苦しみに耐えなければならないのか考えるだけで
心底うんざりする。11年この病気と付き合っているが、
快復の兆しを見せ る所か、より悪化している感じは否めない。
兎に角難しく考えないようにしたい。考えれば考える程、
ラビリンスに追い込まれ迷い続けるのであるから・・・。
明日から又雨天となる。少しは涼しい気候であれば良いなと
願いながら今日も無為に虚無的に地獄の宴が繰り広げられる・・・。
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