2012年6月10日日曜日

ダウンロードし Meditation Mystery And Mastery Android: APPCRAFT


  Meditation Mystery and Mastery - 瞑想は、実績のある代替療法の一つです。それは広く心身医学に分類されることがあります。

より多くの医師は不眠を緩和し、一般的な生活の日常のストレスを緩和し、喘息を持つ個人が容易に放出する助け、血圧、狭心症を有する個体で優れた運動性能をダウンさせる方法として、瞑想を注文しています。

2012年6月4日月曜日

:: アセンション | So It Shall Be ::


 

丑三つ時に、眠れずこれを書いている。

昨日は、こんなのほんとぉ〜に久しぶりと感じる爽やかな秋空で朝を迎えた。

空気が肌にも心にも優しい……一昔前なら当たり前だったこんな天候が、

今では「つかの間の贈り物」のように、貴重でありがたいものになっている。

嬉しくなり、10時前に次男を誘って近所の公園で野球をした。

青空の下、気持ち良く遊べたが、空にはHAARPの活動を示唆するスカラー雲が

見え始めていた。

案の定、一番敏感な夫がさっそくヨレヨレになった。

私もお昼過ぎには身体が重くなり、朝湧いていたやる気がどんどん失せて、

結局何にも手を付けられず、夕方を迎えてしまった。

「スカラー雲」は、今、中国が諸々 の強気な行動に出ている事と無関係ではないように思う(米中の代理戦争のようなものが、不可視のスカラー波によって展開している??)

尖閣諸島云々の問題について、マスコミは相変わらずまともな報道をしないし、

裏の情報源もそれぞれの思い入れが強くて、ちょっと油断すると、こっちも

中国という国に感情的に反応してしまいそうになる。

が、問題はそんなことじゃなくて…

2012年6月1日金曜日

ココロに溺れる〜摂食障害〜


一日、自分で組み立てた通りのスケジュールをこなさないと、

不安感が募ってくる。此れはきっと強迫性障害の所為であろうと

考える。

理想的な私のスケジュールは、午前中は絶対に眠り続けて、

14時半頃起床する。すぐにシャワーを浴び、さっぱりした心で

髪の毛を乾かして、お下げ髪にする。そして日中薬を服用して、

ソイラテを少しずつ飲みながら一服し、読書に耽る。

その後はずっとミネラルウォーターを飲み飲み氷を齧り、

スーパーへ行くまでの時間を過ごす。

この通り過ごせたら、拒食を達成できた事と読書ができた事に

満足してゆったりとした心でスーパーへの道程も足取りが軽い。

しかし今日は酷かった。

夜中の過食時、自分の部屋に食べ物を運んでいる時� ��、

足を滑らせて転び左肘を強打し、身体も強かに床にぶつけた。

一瞬頭の中で星が弾けて何が何だか分からなかった。

最近こうして自分の身体の均衡を失い、物にぶつかったり、

何も無いところで躓いたり、今回の様に滑って転んだりと

おかしくなってきている。多分痩せた事で筋力が衰えて、自分を

支える事が上手くいかなくなってきているのであろう。

夜中の過食嘔吐は壮絶である。手に負えない。

我慢しようとしても出来ない。しんどいから、疲れているから

夜中に食べる事なんて止めようと思っても、

『食べなきゃ駄目だ。心の穴を塞ぐのだ』

という悪魔の言葉が囁きかけて、言う通りにせざるを得ない。

この『心の穴』とは 一体何なのか・・・。

その穴から聴こえてくるのは、『寂しい、悲しい、苦しい』

と言うものである。まるでそれを食べ物で塞いで自分の感覚を

麻痺させようとする為に過食、そして嘔吐しているようである。

今の私には此れが普通となってきている。この病気でない人と

比べても何にもならないと分かっているが、正直な所、

普通に「いただきます」と食べ、「ごちそうさまでした」と

言える人がとても輝いて見える。

今や私は固形物を全く食べられなくなったのである。食べたら即

過食嘔吐に繋がるからである。

命を繋ぐのには、『食べる』と言う行為

必要不可欠なことであろう。しかし私はそれに障害

きたしている。勿論、一般的に普通� ��いわれている生活も

出来ないし、どんどん追い詰められる。しかし、どんなに

頑張っても『食べる行為』に物凄く恐怖を覚える。

本当は過食をしている間も恐怖なのである。食べている時から

身体はその栄養を吸収しているのであるから・・・。

でもそうして私は生きていられる・・・。

閑話休題。

今の私には、『母の存在』が必要不可欠である。

とても温かく大きく優しい。子どもの頃は鬼のような顔をして

私を叱責、殴打していたが、今は本当に優しく心配して

くれている。今の母の姿こそ、本物の姿であると強く感じる。

温かく思い遣りに溢れて、私の事を気にかけてくれる。

子どもの頃そうでなかった分を今、取り戻しているようである。

少し前まで� �私がとても苦しくて縮こまっている時、

優しく抱き締めてくれても何処かに恐怖と抵抗感があった。

だからとてもぎこちなかった。しかし、今はその母の体温を

温もりを、抱き締めてもらった時に素直に受け容れられる。

親不孝な事だけはしたくない。こんなに思ってくれているので

あるから・・・。だから母が生きている間は自棄を起こして

大量に薬を飲んだり、自殺行為をしたりする事は無いであろう。

しかし母を喪った時、自分がどうなるか分からない。

きっと寂しくて生きていられなくて後を追うであろうと予測が

つく。だから今、自分の人生を生きている訳ではなく、母に

安心してもらう為に息を繋げて生きているのである。

私は本当の所、絶望の淵に立っている。< /span>

差し伸べてくれる手をも掴めそうに無い。

しかしそんなギリギリの状態で母は私を愛してくれている事

だけは強く感じる。そして此処で出会えた皆様の優しい

コメントを拝読する度に今生きている事は必然なのだ

感じられる。

前を向いて突き進む事はできないが、ゆっくり一歩ずつ進んだり

後退したりを続けながら、生きていられたら今はそれで

満足である。

毎晩繰り返される過食嘔吐は今の私にとって、きっと

必要なものであるからしてしまう事なのであろう。無理して我慢

しても、他の心身症状が出てきて辛い目を見る。

いつも私は、『普通って何だろう』と考える。

朝起きて朝食を食べ、歯を磨いて仕事へ行く支度をして、

家を出る。仕事をこなしてお昼休みには昼食を食べる

休憩におやつを食べて、週末であれば帰りに居酒屋で

飲み食いでもするであろう。ちょっと食べ過ぎたかなと

思っても、そんなに気にする事も無く、夜になれば眠りに就く。

私はそうやって普通に人々がする事が出来ない。

一口でも食べ物を口に入れ、飲み込んでしまったら、もう意識は

過食嘔吐� ��辺倒になる。

普通と言った概念から大きくかけ離れるのである。

今ではもうサラダや海藻、カロリーの低いゼリー飲料でさえ口に

出来ない。飲み込んだ時点で過食嘔吐となる。

過食嘔吐は身体に物凄い負担と、心の不安定さを呼ぶ為

日中は絶対にやらないようにしている。勿論空腹感を覚えるし

「食べたい!!!」と言う衝動が襲ってくる事もある。

しかし昼間は抑制できる為、ミネラルウォーターを飲み続けたり

氷を食べ続けたりして、水分だけで過ごす。カロリーの無い

ものを胃に入れておけば、空腹感も紛れるのである。勿論

この行為も決して身体に良い訳はなく、苦渋の選択である。

このような行動は誰が見ても『異常』

見做す であろう。決して普通ではない。その上夜になれば

沢山の食べ物を胃に詰め込んで、詰め込んで、限界が訪れたら

全て吐き出してしまうのである。この苦しみは異常で非常に

耐えられなくなる時がある。

勿論自業自得である事も本当に充分承知している。

しかし、止めたくても止められない。夜になるといつの間にか

私は食べ物を次から次へと口に運んでいるのである。

このような行為に、もしも意味付けるとしたら、

『食べている間は無心で何も考えなくて良い事』

であろうか・・・。私は摂食障害の他にうつ病やPTSD、

強迫性障害etc...を抱えている。それらを全て忘れていられる。

日常過ごす自分の情けなさ、人や世間に対する恐怖感、

過去� �苦しい事哀しくて辛い事をも、忘却している。

しかし、それによる代償は物凄く酷く苦しいものとなる。

それらは摂食障害のことを詳しく書いてあるHPの通りである。

特に苦しいのが低血糖であろう。身体は振るえ、頭がぼんやりと

して意識を失いそうになる。また電解質の異常により手先足先が

痺れる事もある。其処まで身体に多大なるダメージを与えても

止められないのが病気である所以であろう。

私は決してもう多くのものは望まない。唯、『普通』

欲しい。食べ物に感謝をして「いただきます」と食べ始め、

腹八分で「ごちそうさまでした」と言いたい。

そして食べたものが私の糧となり、血や肉となり、明日への

命を繋いでいきたいと感じる 。何よりもこの食べ物を粗末に

している自分と言うのが赦せないのである。悲しい。

それにこんな事を繰り返していたら母より先に死んでしまうので

それがとても心苦しいのである。

人々は『普通』である事を嫌い、『特別』を求める。

人より秀でていき、容赦なく弱者を足蹴にして特別になろうと

伸し上がっていく。そうして輝かしいポストを得て・・・・・・、

一体その後何が待っているのであろう・・・。非情に無情に

上を目指して生きていく様はとてもじゃないが尊敬できない。

慎ましやかに人情を重んじ、温かく、決して上へは行けなくとも

優しい心の持ち主である人を尊敬する。それは至って『普通』

であるが、社会に出るとその優しい人々は� ��牲となってしまう。

時には会社の尻拭いとしてのスケープゴートにもなりかねない。

それでも良い。私は、普通な生活を送りたい。

小さな自然を身辺で見つけ、心を癒し豊かにして、温かい心を

持ちたいと願う。

勿論こんなに病気まみれの自分はギスギスしていて、心の余裕を

生み出すことすら難しい。しかし、夕暮れの空に感銘を受ける

ように、小さな自然を大切に心に取り入れて、心を癒して

治癒へと向かられたら考えるのである。

今日、私が住んでいる地域は入梅した。雨は暫く続くという。

目覚めた時から薄暗く、気分も同じく暗く暗く重くなっていく。

爽やかに晴れすぎた空も苦手であるが、夕陽すら顔を見せない

大粒の雨が降る日は、一挙手一投足が疲れてしまう。

目覚めたのは15時半頃であった。暫しボーっとして、

シャワーを浴びた。ほんの少し、重苦しい頭がすっきりとする。

しかしいつも時間に追われている感じは払拭できない。

この時間にはあれをして、これをして、そして読書をして・・・。

余程気分が堕ちきっていない限りは、読書の時間だけが

唯一現実を忘れられる救いの時間である。最近は乃南アサ著の

本を読み漁っている。此れは知人から借りたものなのであるが、

沢山貸して頂けて、 喜びも一入である。乃南アサの作品は

大好きなものが多いのであるから。そして読書をゆっくり

嗜みながらコーヒーを飲んだり、ミネラルウォーターを飲んだり

しながら、ゆったり過ごす。しかし抑うつ状態にあると、

何故か先を急いでしまい、落ち着かないのが苦しい。

正に自業自得である。けれど読書をしていれば、

鬱から来る希死念慮から逃れられている。

私にとって大切な時間である。

なるべく生活リズムを正したいと思うが、朝目覚めてしまうと、

過食衝動が容赦無く襲ってくるし、嫌な事・過去の事・苦しい

現実を考え込んでしまって、何も良い事は無い。それにそんな

風に朝から目覚めても拒食で通す為、低血糖により身体が

震えたり、精神状 態が悪化の一途を辿ったりする。

だから私は昼も過ぎ夕方が迫ってくる時間に起床するのかも

しれない。強いお薬のおかげで深い深い眠りに就き、

目覚めたらシャワーを浴びて、ソイラテを飲む・・・などと延々と

続く作業は、全て強迫観念から来ているものである。

そして絶対に日中は過食嘔吐しない事も自分に戒めている。

正直自分の意思は殆ど入っていなくて、苦慮の末編み出した

日中の過ごし方なので、もう今や守らないと気が済まない。

落ち着いていられないという事が苦痛でなだけである。

スーパーへ行く時間が迫り、雨が降っている事に少々の怠さを

抱きながら支度をした。そしてこれから自分が行う事について

物凄く嫌気が差しながらも、吐く為の食べ物を購入す� �。

しかし日毎に『食べたくない!嘔吐したくない!』

との想いが物凄く募ってくるのである。しかし此れも強迫観念が

為している事で、逃れられない。それに私は0か100かしか

頭に無いので、食べないと決めたら飲み物だけで過ごす。

もし一口でも食べ物を食べてしまったら、嘔吐するまで

止まらないのである。うつ病が重みを増してくるにつれて、

『何にもしたくない。食べたくも無い。吐きたくもない。

いつまでもいつまでも眠っていたい』

と言う思念で一杯になる。そうなると心の容量も狭まっていき

自分自身が凄く小さなものになる。

『もっと豊かな心を持ちたい』

と願っても、心の視野が狭まっていくばかりである。

唯� �、読書によって違う世界に浸れる事だけが救いである。

情けない自分であるが、少しずつ前を向けるようになりたいと

思う・・・。

いつもの如く、夜中の過食嘔吐が長引き、酷く疲れた為

隣の部屋でぐったり倒れていた。しかし早く胃薬を服用し

眠剤も服用せねば昼に起きられなくなるので、重い足取りで

部屋に戻り、一連の作業を終えて眠りに就いた。目覚めたのは

16時である。急いでシャワーを浴び、一息つけた所で

様々な思いを頭の中で巡らせていた。

私が通っていた高校は、キリスト教プロテスタント系の学校で

あった。勿論毎朝礼拝があり、授業に聖書の時間もあった。

私は無神論者であり、無宗教であるが、聖書には色々と

気付かされる事が多く、学校で暇な時に読んだり好きな箇所に

付箋を貼り付けたりしていた。

其処で今日、ふとこの言葉が頭に浮かんできた。

『あなたがたは、兄弟の目� ��あるおが屑は見えるのに、

 なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。』

( マタイ・7・3〜5、ルカ6・41と42 )

と言う言葉である。

全体の文としては、

『人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。

あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与

えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ

自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって「あなた

の目からおが屑を取らせてください」とどうして言えようか。自

分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸

太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟

の目からおが屑を取り除くことができる。』

( マタイによる福音書第 7 章 )

私はこの箇所を高校生の頃読んだ時、衝撃を受けた。

『人を裁いてはならない』 事に成程と言う思いを抱き

『偽善者である自分』 を思い知らされた。

私は余り神に基づいて考えている訳ではなく、日常生活に

取り入れて思考を巡らせた。私は高校生の時も毎日過食嘔吐を

繰り返していたので、本当は半ば聖書の言葉に縋る部分が

無きにしも非ずと言う状態であった。しかし私の目の中には

丸太があり、妹弟のおが屑に気付いていても取り除いて

あげられるような人間ではないと思い知らされた。

また、『人を裁くな』と言う箇所、

『あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る

秤で量り与えられる』という箇所には感銘を受け� ��。

高校生の自分がその時解釈したのは、自分の心の力量や乏しさ、

小ささが浮き彫りとなった為に、もっと温かく豊かで大きな心を

持たねばと想ったのである。

自分の目の中に丸太があるというのに、兄弟のおが屑を取り除く

2012年5月18日金曜日

Notebook: 分離不安とは?愛犬を助ける4つの方法 - Wanwans


愛犬はあなたの姿が見えなくなると寂しくって吠えてしまいますか?
飼い主がいないと不安になってしまう"分離不安"の犬は実に15匹に1匹もいるそうです*。

犬の分離不安とは?

分離不安の犬は家族の姿が見えなくなってしまって不安になり、その場から逃げ出そうとしたり遠吠えや激しく吠えて家族を呼び戻そうとしたりします。

犬の分離不安のサインの例として

あなたが出かける準備をし始めると落ち着きがなくなる

留守番中に吠えている

留守番中にドア、カーペットを引っ掻いていた形跡がある

トレーニングが出来ているのにトイレ以外でオシッコ、ウンチをしている......など


窒息を防ぐ
犬たちのこうした行動は飼い主の姿が見えなくなって大体30分以内に起こるといいます。
また家族が帰って来た時に激しく喜んだり、どこの部屋に行くにも後を付いてくるような場合も分離不安によるストレスを感じていた可能性があるそうです。

分離不安になりやすい犬とならない犬のはっきりした差はわかっていませんが、傾向としては次のようなものがあるそうです。

どこに行くにも飼い主と一緒。留守番をしたことがない

2012年5月17日木曜日

■ 神造世界_心像世界 第二十幕 「彼が言った/彼女が叫んだ」 ■



   神造世界_心像世界 第二十幕

               「彼が言った/彼女が叫んだ」

 数学教師が発する暗号を適当に聞き流しながら、霧島マナは午後の日差しと睡魔の誘惑と戦っていた。

 ポカポカと暖かい日差しは、彼女の瞼を垂れさせようと優しく降り注ぐ。必死になって抵抗を試みるも、すでに首が泳ぎ始めている事実に彼女は気づかない。こっくりこっくりと規則正しいリズムを刻むマナを、数学教師は目線も鋭く睨みつけた。

 横隣の生徒が慌てて指でつつく。

 肝が据わっているというか、単に鈍感なだけなのか。マナは気づかずに、現世と夢の世界の狭間から帰ってくる様子は一向にない。

 学生の本分は学業である。

 その学生に教える立場の教師から見れば、己が授業中に眠りこける生徒は、気分を害する動機に十分すぎた。ゴホンゴホンと、怒鳴り散らす前に起こそうと� �る教師。彼とて好きで教え子を怒鳴る訳ではない。誰が好き好んで嫌われ役を買おうというのか。どうしようもないからこそ声を張り上げるのであって、やたら無闇に癇癪を起こすのは愚の骨頂だと、教師は考えていた。

 まさに教師の鑑といえる彼が妥協して、うほんおほんと警告を発する。当の霧島マナはついに境界線を超え、夢の世界への一歩を踏み出す。

 眠りこけたマナを視線の隅に捉えながら、模範的教師である数学教師は、あらん限りに自分の声帯を震わせた。

 「こんなのってないよーっ」

 帰路の道を歩きながら、いかにも数歩先は崖っぷちです、と、そんな表情でマナは嘆いた。

 授業中に居眠りをした彼女に待っていたのは教師の怒声と、普段の五割増しで厚くなった宿題のプリント集で� ��った。周りの生徒は哀れみの視線こそ向け、まあ措置としては軽い方だったかな、と、内心で苦笑いをした。

 彼らの学年を担当する数学教師は、硬派なことで有名である。しかし学校内でよくあるような嫌味たらしい俗物ではない。生徒の面倒見はいいし、進路相談のために最上級生がよく相談にくることから分かるように、堅物ながらも聖職者としては優良だった。

 宿題を出された当人にしても、居眠りしたのは事実であるから、彼を恨めしく思いこそすれ、腹が立つほどでもない。

 そう、普段ならば。

 「ふぁあ・・・・」

 あくびをかみ殺し、マナは頭をボリボリと掻く。

 隣を歩いていたアスカが、そんな少女の劣情な行為に苦笑しながら、何気なく聞いた。

 「どうしたのよ、マナ。� ��ケに眠そうじゃないの?」

 まぶたを重そうに、あくびを連発する姿を見れば、誰だってアスカと同じ疑問を持つだろう。大抵の場合、夜更かしだと相場は決まっているのだが。

 一つ頷くと、マナはやはり夜更かししていると白状する。なんでも、入院していた彼氏が今日退院するらしい。その祝いのために、昨日からいろいろと準備をしているのだという。

 
 「・・・・へえ、良かったじゃないか」

 アスカを挟んで、一人ぶん向こう側のシンジが微笑んだ。すでにお決まりとなりつつある、このメンバー。

 「うん! まだギブスが取れない場所があるんだけど、通院に切り替えてもいいだろうって」

 「なるほど。愛する彼氏のために退院祝い、か。ヤケるわねー」

 小悪魔的に微笑す� �友人に、顔を赤くしながらマナは「もうっ」と、頬を膨らませた。

 マナにしても、長年友人として接してきたムサシを恋人のように扱えているか、と聞かれれば、唸るしかなかった。そもそも恋人になったからといって、彼らの立場が変わった訳でもない。昔から気の許せる友人はムサシと、今は亡き浅利ケイタだけだったのだ。男と女である以前に、彼らは仲間であり家族だった。気の合う兄がいきなり恋人になりました、と言われても、妹分であったマナには実感できないのも無理はない。

 ただ、好いているのは確かである。

 小学生でもあるまいし、友達の"好き"と、異性の"好き"が違うことくらい、彼女でも分別がつく。

 気恥ずかしさというかなんというか。

 面と向かって「好き」と言えた� ��は、あの病室での告白劇以来一度もない。思い出すだけでも頬が赤くなるのが分かる。それはムサシも一緒なのか、暗黙の了解であの日の出来事は口にしていない。

 マナが隣を見ると、シンジが器用にも、目をつむりながら歩いているのが目に入った。

 少なからず、霧島マナは、碇シンジに惹かれていた。今でもそうだ。彼氏持ちだなんだと触れ回ったのは、これまた隣を歩くアスカを沈静させるための手段だった。目くじらを立てる彼女は、誰から見てもシンジに好意を寄せていたし、彼らは戦友でもあるらしい。

 セカンドチルドレンとサードチルドレン。

 実際に戦場に立ったことのないマナには、戦友の持つ意味が理解できない。極限状態で信頼できる大人も少なかったNERVで、一時的にでも、同じ屋根の 下で暮らしたことのある二人が惹かれあうのは、当然の流れだろう。

 ただ、環境が環境だっただけに、戦時中に二人が結ばれることはなかった。

 三年たった今、こうしてシンジとアスカが付き合っているのは納得できる。言うなればシンジは、マナの立場でいうムサシとケイタなのだ。

 "同年代"というだけで仲間意識が生まれる上に、彼らはマナを守ってくれた。口先だけではない。行動をもって自らを守ってくれた。

 (・・・・好きになるのも、無理はない、か)

 アスカが病的に信頼を寄せているのは知っていたが、こうして考えてみると頷けることも多い。

 もしマナが一人っきりで見知らぬ連中の中に放り出され、戦争することを強要されたなら。きっと遅からず慰み者にされていたに違� ��ない。いつ死ぬかもしれないという恐怖と、生きているのも辛い生活。想像するだけで恐ろしい。

 そんな中で現れたのが同年代の異性で、かつ、自分を守ってくれたとしたなら。

 精神的に参っているときは、現状を抜け出せない自分さえ嫌になって、泥沼のように自己嫌悪に陥る。自分は駄目だ。情けない。なんで自分だけ。誰か助けて。でも恐くて言い出せない。なんでどうして。自分がこんなにも苦しんでいるっていうのに。神様仏様。誰でもいいからここから出して。情けない。自分が恨めしい。役立たずめ。信用ならない。自分が一番情けなくて惨めで信用ならない。

 

 ――――――そんなとき、助けてくれたのが、他でもない、あなた・・・

 死にたくても死ねないとき。

< p> 助けて欲しくても助けてもらえないとき。

 救ってくれたのは、神様なんて概念モノじゃなかった。

 救出劇インプリンティングは、それだけ大きな意味を持つのだ。人生を持って忠誠を示し、自らを犠牲にして尽くす。毎朝毎晩、十字架に祈ったり中古本を読み上げることより、なんて有意義な尽くし方なのだろうか。

 詳しく知る訳じゃないけど、きっと、アスカもそう・・なのだろう。

 「ねえ、キスとかもうしたの?」

 「き、キスッ!?」

 大げさに驚くマナを一瞥し、アスカは不思議そうに首を傾げた。

 「なによ、そんなに驚くことなの? 彼氏っていうくらいなんだから、恋人ってことよね。だったらキスくらい・・・・って言うの� ��変だけど、そのくらいしてもいいんじゃない?」

 「そ、そうだよね! キスだもんね。ちゅー、だもん。ちゅー」

 ちゅーちゅー繰り返す姿を見て、アスカは彼女達がそこまでいっていないことを確信した。

 そして安堵する。自慢じゃないが、自分達だってドッコイドッコイなのだ。手を握っただけで緊張するし、キスだって未経験(三年前のはノーカウントだ)である。

 しかしながら、彼女の知らぬ場所で、リツコとシンジがすでに接吻をしていたと知れば、どうなることか分かったものではない。

 「クスクス・・・・初々しいねえ」

 じゃれ合う二人を横目に、シンジは空を仰ぐ。

 マナを眠りの国へと誘った陽気は、今も尚、第三を照らしている。

 マナは制服姿のまま、足を病院 へと向ける。

2012年5月15日火曜日

君のいない旅 − 21 :: 二人分の吐息


■ 君のいない旅 ■
〜 神様 〜

あれから、私の中絶を知った母親は、忙しくなった。
信じられないことに…私の妊娠、そして中絶を周りの人たちに
喋っていた。普通ならそんなこと、どんな知り合いでも、例え親戚でも
ベラベラ喋ることじゃないと思う。それは世間知らずなバカな私にでも
分かること。なのに母親は「この人は大丈夫」って勝手に思いこんで
色んな人に、私のことを言いふらした。

中学の時にお世話になった、保健室の先生。
そして…母親の友達…。

その友達というが、エホバの証人、という人達のこと。
聖書を研究するキリスト教グループ。

実は母親は、うつ病になってから色んな宗教に興味をもつようになった
らしい。うつ病になったのは、私を産んでからだから、たぶん
そのくらい� ��時期から。それまで健康だった体もココロも、病気の
せいでどんどん思うようにいかなくなる。色んなストレスが重く重く
彼女のココロと体に増え続けて、そしておかしくなっていく。

助けを求めて、色んな宗教に入ってみたり、グループに興味を持つ。
父親は、それを止めるのに大変だったらしい。多額の金額を正体の
分からない組織に払ってたり、訳のわからない薬を送られてきたり。

2012年5月14日月曜日

ノワイヨ News-12



  NOYAU shop & cafe 12:00-18:00 open thu-sun  Telephone 022 715 8950  E-mail inf/span>

■営業時間と定休日が変更になりました。open12:00-18:00 定休日 月、火、水

プライベートブログは下記のとおりです。震災後の状況については3/14にさかのぼってお読みいただけましたら幸いです。

yumi iwasa Blog 『シンプルにていねいに暮らすためのレメディ』
 



 食べるタネの量り売り  2011/5/29

ノワイヨのエピスリーで人気のオーガニック食材の量り売り。ドライハーブ、スパイス、ドライフルーツ、豆類、
オートミール、キヌアなどの穀類とその種類はじつは60種を超えるほどなのですが、量り売りコーナーに並べていないものもあり、
料理教室にご参加された方にしか知られていないものもあります。知る人ぞ知る存在の量り売り。質のよいものばかりなので、
もう少し知っていただきたいと思い、整理していましたら、いろいろな種(タネ)がけっこうあることに気づきました。
写真手前の黄色くて丸い種はマスタードシード。そのままスパイスとして、カレーや炒めもの、ピクルスに使うのもいいですし、
練りマスタードを自家製するのも楽しいし、植えれば芽がでますのでマスタードスプラウトとしてサラダにも美味。
種は植物の命です。小さいけれど生命力あふれる種を食べるとは、こころとからだの中に種をまいてあげるみたいにパワフルですね


 ■食べる種リスト / 10g単位量り売り*価格は10g、税別
  アニスシード 220yen
  カルダモン
 200yen
  キャラウェイシード 100yen
  クミンシード 280yen
  コリアンダーシード 200yen
  ディルシード 180yen
  パンプキンシード 50yen
  ひまわりの種 280yen
  バニラビーンズ 600yen
  フェネグリーク 100yen
  フェンネルシード 150yen
  マスタードシード(イエロー)
50yen
 

 ノワイヨの新しい時間  2011/5/20

ご心配をいただきました皆さまへ。あたたかいお言葉とご支援をありがとうございました。
おかげさまでノワイヨは、新しい気持ちで再スタートしております。ショップとカフェ、そしてスクールも再開しております。
震災からちょうど半年がすぎる9/12満月の日に私たちは10周年を迎えます。その日までは、このままでいたいと思っています。
再び皆さまとお会いできますことをいつも楽しみにしています。日々、心を込めて。岩佐ゆみ

5月より営業時間と定休日を下記のとおり変更させていただきました。
open 12:00-18:00  定休日 月、火、水
*今後も変更する可能性がございます。予めご了承ください。
*キッチンファーマシーは価格変更(1回2,000yen)し、7月から再開する予定です。日程は6/2に決まります。
*ランチのみお休み中です。6月から以前と同じく野菜とハーブのヴェジタリアン料理で
 スープ&お惣菜の軽食をご用意する予定で準備中です。数に限りがございますのでご予約がおすすめです。


 スクールについて 受講生募集再開のお知らせ 2011/4/6 →4/18改訂

下記のとおり、資格取得の各コースについては日程を新たに受講生募集を再開しております。
このページではスケジュールの改訂のみとなっております。内容についてはschoolのページでご確認ください。
尚、しばらくのあいだ、お問い合わせ、お申し込みはメールのみとなります。
ご理解の程よろしくお願いいたします。

■日本メディカルハーブ協会認定ハーバルセラピストコース medicinalherb__.html

水曜午前コース(1日1単位)10:30〜12:30
5/18,25  6/1,8,15,22,29  7/6,13,20  8/3,24,31  9/7,14,21,28  10/5