演目はいずれもプッチーニの作品で、まずはマチネ公演の『つばめ』のライブ・イン・HDを映画館で鑑賞です。
今日もウォルター・リード・シアターはほとんど満席状態。
開演前、ホスト役のルネ・フレミングが一通りの前振りの後で、
"ここで、ゲルプ支配人から一言あるようです"と言い放った時、
その満席状態の客から、不安のざわめきが巻き上がりました。
誰が出演できなくなったのか、、?!まさか、アンジェラ?まさか、ロベルト、、!?
ゲルプ氏が舞台上に登場。
"アンジェラ・ゲオルギューがひどい風邪をひいておりますが、
観客の皆さんを失望させたくない、ということで、本日の公演に出演します。
どうぞ、私と一緒に彼女の健闘を祈ってください。"
こういうアナウンスメントって、それだけで歌手の気が楽になる効果があるというのもわかりますし、
結果がいまいちでも、これが私の本領じゃなくってよ!ってことを言いたいんでしょうけれど、
客の方はどう思えばいいのやら、、。
"今日の公演は素晴らしいものにはならないからね。"って最初に宣言されるのは複雑な気分です。
ただ、この"風邪"っていうのもほんとかな、、?
あの初日の大緊張っぷりとその後にメディアに出た"彼女の中低音域が驚くほど弱かった"という批評を見るに、
それに対する防護策かな、という穿った見方もできます。
とにかく、聴いてみるしかありません。
ストーリーなどについてはシーズン・プレミアを実演で観た際に多く書きましたので、
今日は歌唱の出来などを中心にまとめたいと思います。
注:この公演はライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)の収録日の公演です。
ライブ・イン・HDを鑑賞される予定の方は、読みすすめられる際、その点をご了承ください。
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登場してすぐのゲオルギュー。確かに少し風邪気味を感じさせる兆候はあるかもしれません。
高音域より、中・低音域での乾いた音に、よりそれが感じられます。
初日の公演では観ているこちらまで彼女の緊張が波及して倒れ死ぬかと思った
頭の"ドレッタの夢"。
今日も、少し声のコントロールに苦労している様子が伺われ、
高音でほとんど体を振り絞って出しているような様子があったのと、
その保持にも余裕がなく、美しい後半のフレーズで歌い急いで聴こえたのが残念。
しかし、がちがちに緊張していた初日と比べたら、それほど大差のない出来で、
これならば、風邪とはいえ、全くへろへろなコンディションではなさそうに思いました。
むしろ、この一幕は、彼女が最も苦手にしている幕のように見受けられ、
今日もフレーズの頭の音がオケよりも走り勝ちになっている個所がいくつかありました。
ただ、この役での彼女は、こんなスクリーンの大写しで見ても、
生の舞台で見ているときと、ほとんど違いがないのがすごいところ。
舞台でそこそこ素敵!と思っても、スクリーンで見て、
そのギャップ(主に年齢と体重による、、)に"うわっ!"と引かされることが多いことを思えば、
こんなにアップで見ても、全く印象が変わらないのは奇跡的でもあります。
(ゲオルギューに関しては、昨シーズンの『ラ・ボエーム』のHDのミミでは、
少し体重を落としすぎたのもあったのか、年を取ったなあ、、と思わされたのですが、
今回の方が体に適度なボリュームもあって、瑞々しく、若返った感じがするほどです。)
ある場面で、ソファの上で彼女が腕で膝をかかえたところをカメラが大写しで捕らえていましたが、
腕も足も毛一本なくつるつるで、肘なんかもがさがさしたところがなく、
きっと前日にスパにでも行って徹底的に磨きあげて来たに違いない!と思わされます。
そんな風にスパで"まっぱ"でひっくり返っているうちに軽く風邪を引いたのかもしれません。
こんなところにまで気を使わなきゃいけないなんて、つくづく、このライブ・イン・HDという企画は、
歌手にとってはなんと大変な負担だろうか、と思います。
彼女が浮気をして見つけられたときは何をすべきか
意外と舞台よりもスクリーンで観た方がいい印象だったのは、プルニエ役を歌ったテノールのブレンチウ。
歌に関しては相変わらず驚嘆させられるほどの出来ではなく、
声がひっくり返り気味になった個所があったり、見せ場の音が近くなると緊張して
その前の音を歌い急ぐ傾向がありますが、
シーズンプレミアで私が"遊びが少ない"と評したやや地味目の歌唱を、
細かい演技力でカバーしているのが新しい発見でした。
スクリーンで観た方がずっといいです、彼のこの役は。
彼の独特の皮肉屋っぽい風貌(特に顔)、比較的痩せていて小柄な体型、
しかも、少し内股っぽい独特の体の動き、などに助けられていますが、
演技がものすごく細かく、こちらをにやっとさせるようなおかしみのある芝居に長けていて、
スクリーンで映えるタイプの人だと思います。
舞台では、彼の演技は細かすぎて全てがオペラハウスに伝わっていないのがこの映像でよくわかりました。
前述のシーズン・プレミアの時の記事で触れた1996年のEMI盤で同役を歌ったマッテウィッツイの
超高音も可能な軽い声に比べると
(そのことがマッテウィッツィが歌だけでこの役をコミカルに聴こえさせるのに貢献しているのですが)、
ブレンチウは、声のサイズは絶対的な基準でいえば小柄で軽めの声とはいえ、
完全にリリック・テノールのレパートリーに向いた声なのではないかな、と思います。
マッテウィッツィに比べると圧倒的に高音が苦手な感じがするのは、
そのあたりが関係しているかもしれません。
かように声質が二者間ではかなり違っているので、この役を声だけで聴くと、随分印象が違って聴こえます。
ちなみに、このブレンチウは、ゲオルギューと同じ、ルーマニア出身のテノールです。
胎便を渡さなければなりませんどのように多くの時間、出生の後
それから、今日の公演で私には意外な大活躍を見せたのはリゼット役のリゼット・オロペーザ。
いやー、今日の彼女は本当に良かったんじゃないでしょうか?
私がこれまで彼女を生で聴いた経験では、(リンデマン・ヤング・アーティスト・プログラムという、
メトの新人向けのプログラムのワークショップでのルチアのアリア、
『ヘンゼルとグレーテル』の露の精、『フィガロの結婚』のスザンナ、など)、
常に高音が痩せる印象があって、この『つばめ』の初日の公演でも全く同じ印象を持ったのですが、
今日の彼女はどうでしょう?
こんなに彼女の高音が全て綺麗に、しかも密度の濃い響きが出ているのを初めて聴きました。
この大舞台に自分を最高のコンディションに持っていった力と、舞台度胸の良さは、評価したいです。
幕間のフレミングとのインタビューで、以前にスザンナを歌っていることをふまえて、
女中役専門?とからかわれていましたが、スザンナとリゼットはだいぶキャラクターが違います。
そして、このリゼット役は、演出を1920年代に移動させたこともあって、
演目自体にもっと人気があったなら、彼女の切り札の役ともなるのに!と思えるほど、
オロペーザはこの役にはまっています。
何より、彼女の顔や表情がものすごく1920年代っぽい。
演技も歌もやりすぎていないのも好感が持てますし、
ブレンチウのプルニエとなんともいえないケミストリーを生み出しているのも見事です。
彼女は正直、まだ、存在感の面でも、カリスマの面でも、また歌唱の安定感という意味でも、
主役級の役で全幕を通して聴くのは辛いのですが、このあたりの準主役なら、
役次第では、十分持ち味を発揮できるように思いました。
逆に登場した瞬間からあれ?と思わされ、残念だったのはアラーニャ。
本当は風邪でコンディションが悪かったのはゲオルギューではなくて
彼の方だったのではないかと思います。
夫婦で同公演に出演中ということで、ゲオルギューが風邪なら、
彼も風邪気味でもちっとも不思議ではありません。
もともと彼に関しては、近年、登場場面が長く続くと、声にざらっとしたテクスチャーが入ることは
いろいろな公演の感想で書いてきましたが、今日はそれだけではない、
最初から鼻腔に何かつまっているような音で気になっていたのですが、
インターミッションの後の第三幕でそれがはっきりと顕在化したように思います。
声が荒れてきて、これで最後までもつのかとひやひやするくらいでした。
ゲオルギューの負担を軽くするために、彼女が風邪だと発表させたせいで、
自分は言いにくくなったのか、それとも開演前までは本当に大丈夫だと思っていたのか、
そのあたりはよくわかりませんが、より風邪っぽい歌唱だったのはアラーニャのほうだと思いました。
ゲオルギューに関しては、軽い風邪はひいていたのかもしれませんが、
(一幕の不安定さと、三幕幕切れの音がやや短かったあたりにその兆候はあります。)
それでも全体的には二幕、三幕と、高音もよく延びるようになっていましたし、
多少、中音域、低音域がらしくないとはいえ、
初日の歌唱と、風邪といって公言しなければならなかったほど、ギャップは大きくありません。
今でも、どちらかというと一幕に絡むメンタル・ファクターの方が、
公演前のアナウンスメントにつながったのではないかと個人的には思っています。
むしろ、初日とのギャップが大きかったのはアラーニャの方でした。
アラーニャは初日の歌唱が良かったので、今日の出来はちょっと残念。
それでも、ゲオルギューが踏ん張っている今、自分が降りることは出来ないと観念したか、
一生懸命歌ってはくれましたが。
第三幕で、マグダに"別れないでくれ"とすがるシーンでは、本当に涙を流しての熱唱も。
ただ、歌唱面で気になることがあると、役の表現にまで気がまわりにくくなるのは仕方がなく、
そういった意味で、初日よりは役としてのキレを欠いていたように思います。
しかし、そんなコンディションでもアラーニャらしくあろうとするところが彼の良さかも知れません。
自分のセルフ・イメージをわかっているからなのか、
どうやってもそうなってしまう"真正"のおちゃらけ君なのか、
三幕で、まだマグダと幸せいっぱいの暮らしを送っている場面では、
ゲオルギューを膝にのせながら、彼女の胸にキスをしてみたり、
幕間で次の出番に急ぐゲオルギューのお尻を叩いて送りだしてみせたり、
"まったくあいかわらずなんだから、アラーニャは、、"という笑いが映画館から沸き起こっていました。
極めつけは、前半(ニ幕)終了後すぐの、ルネ・フレミングによる、
ゲオルギューとアラーニャへのインタビュー中に、
"お二人は夫婦でいらっしゃいますが、一緒に仕事するのはどんな感じですか?"と聞かれて、
散々二人で歌うとどれだけケミストリーが合って素晴らしいか、ということを並べ立てた末に、
"でも、もちろん、あなた(フレミング)と歌っても同じで、
素晴らしい結果になるでしょうが。あははは。"
とみえみえのおべっかをアラーニャが言い放った後、
その冗談が面白くなくってふくれるゲオルギューを心配そうに何度も見やる姿が傑作で、
会場は爆笑の渦でした。
フレミングの、"痴話喧嘩に私巻き込まれたくないわ、、、特にこの二人の場合は、、"といった風情の、
ろくにThank youとも返さず、次の話題に突入していく様もまたおかしかったです。
初日の公演で、フレミングが見にきていたことを書きましたが、
今回のホスト役をするための下仕事だったのですね。
ちなみに、このインタビューの中で、アラーニャがHDの日は演技の仕方を少し違うものにしている、
という話をしていますが、
初日の公演では、そういえば、ゲオルギューへの胸キスはありませんでしたので、
これも、HDを鑑賞しているオーディエンスのためのアラーニャからの特別な贈り物(?)のようです。
終演後、映画館から出掛けに、ご夫婦でしょうか、お年を召したお二人が、
"ストーリーが薄いなあ、、"と言っているのが聞こえましたが、
そんな風に感じられる人がいるのが信じられません。
こんなに濃く、読めば読むほど味が出るリブレット、滅多にないと思うのですが。
一度全聴してから、またあらためて読むと、将来への暗示とか、
その時登場人物がどう考えてある言葉を発するか、とか、ヒントがちりばめられていて、感嘆します。
例えば、二幕のマグダとルッジェーロが恋に落ちてキスする前のロマンチックな重唱部分ですら、
マグダが、Parlami ancora, lascia ch'io sogni(もう一度言って。夢を見せて。")
と歌っているときに、ルッジェーロはどう返すかというと、
Ah! Questa e vita, e questa e realta(ああ、これこそ人生だ、これこそ真実だ)
彼があくまで現実の恋の相手としてマグダを見ているのに対して、
マグダにとって、彼は自分の夢の一部にすぎなかった、ということがよくわかります。
この後の幕で何が起こるのか知りながら聴くと、初めて聴くときとは違って、
なんともいえない、甘酸っぱさ、ほろ苦さを感じます。
HDでの英訳でもオペラハウスの字幕システムでも、
歌われるスピードのせいもあり、全部を完璧に訳出することは不可能なようなのですが、
当作品、プッチーニの音楽も素晴らしいですが、リブレットとしてもとても良く出来ていると私は思います。
そうそう、スクリーンで見ても、レイミー演じるランバルドは素敵な"大人の男"してました。
ランバルドも、お金でしか愛情表現が出来ないある意味可哀想な人ですが、
でも、彼なりにマグダを愛しているのだと、これもリブレットから伝わってきます。
愛なんてテーマは古臭い、と最初は言っていた彼が、
"ドレッタの夢"で燃えるような恋を熱く歌い上げたマグダに、
Che calore!(なんと情熱的なんだろう!)と褒め言葉をいう場面は、
マグダに、あら、"現実男(金で女性を買うような男性)のはずのあなたまでどうしちゃったの?"
と揶揄されてしまいますが、ここは、彼が皮肉で言ったのではなく、
彼の奥密かに隠れている純情な部分が表現されているように思います。
その後、照れ隠しに真珠のネックレスをプレゼントしてしまうのが彼っぽいのですが、
でも、クラブでのマグダに対する態度、最後まで彼女を見捨てないところに、
彼なりの優しさと愛情を感じます。
そして、彼もマグダと同様、自分の生き方を曲げられない人です。
この作品のよさは、まさに何もかもを白黒で決着をつけないで、
人間の心のグレーな部分、心の機微というものに真っ向から取り組んだ点。
ゲオルギューが風邪気味であろうと、アラーニャが本調子でなかろうと、やはり必見の作品です。
Angela Gheorghiu (Magda)
Roberto Alagna (Ruggero)
Lisette Oropesa (Lisette)
Marius Brenciu (Prunier)
Samuel Ramey (Rambaldo)
Monica Yunus (Yvette)
Alyson Cambridge (Bianca)
Elizabeth DeShong (Suzy)
Tony Stevenson (Gobin)
David Won (Perichaud)
David Crawford (Crebillon)
Conductor: Marco Armiliato
Production: Nicolas Joel
Set design: Ezio Frigerio
Costume design: Franca Squarciapino
Lighting design: Duane Schuler
OFF
Performed at Metropolitan Opera, New York
Live in HD viewed at Walter Reade Theater, New York
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